表紙

水晶の風 38


――こんなのって、ありかよ!――
 麻耶があっけなく帰っていった後、取り残された和基の胸は、次第にもやもやしてきた。 前から気に食わなかった悠香という娘が、もう許せないほど憎たらしく感じられた。
 怒っているとエネルギーが溜まって、腹がすいてきた。 例のうどん屋に行こうかと、財布をポケットにねじこんで玄関を出たとき、携帯のベルが鳴った。
 かけてきたのは清水だった。 いつもより高めの声で、咳き込むようにすぐ本題に入った。
「合田さん? 連絡にあった佐藤則行ですが」
「何かわかりました?」
 すぐに和基は仕事に頭を切り替えた。
「死んでます。 今年の春に。 単車の事故でね。 配達の車とぶつかったんですが、佐藤のほうが酒の臭いがぷんぷんだったそうで、そっちの過失ということで、相手はお咎めなしです」
 今年の春……悠香が瓜川のスナックに勤め出したのも今年の春だった。 何か関係があるのだろうか。 それとも偶然か。
「念のためですが、そのぶつかった配達の車の運転手を教えてくれますか?」
 がさごそと紙の音がした。
「はい、ええと、松金吉春〔まつがね よしはる〕。 熱帯魚の店をやってまして、住所は……」
 玄関に入りなおして、和基はすばやくメモを取った。

 再びうどん屋へ向かう路上で、和基はその名に思い当たった。
「松金って、酒飲まないのにボトルキープしてた男じゃないか?」
 わりと珍しい苗字だ。 関係者にそう何人もいるとは思えない。 線がぼんやりと繋がってきた気がして、和基は軽く拳を握りしめて呟いた。
「ビンゴ、かもしれないな」

 その直後、背中に何かが触れた。
 まだ七時前とはいえ、空はもう真っ暗で、おまけに街灯がぽつんぽつんと点在しているだけの住宅街だ。 和基はぎくっと身を固くして、素早く振り向いた。
 背後にいたのは、麻耶だった。 そして、眼が合ったとたん、飛びつくようにして、和基の肘に腕を滑り込ませてきた。
「二階にいたら、通っていくのが見えて。 ね、どこに行くの?」
 さっきとは別人のように、きらきらした笑顔だった。



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背景:硝子細工の森
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