表紙

水晶の風 35


 客間に戻った和基は、椅子に座りなおして、当り障りのない世間話をしながら少し時間を置いてみた。 だが、悠香は席に落ち着いてしまって、全然出て行く気配を見せなかった。
 これはとことん邪魔するつもりだな、と悟って、和基は紅茶を飲み終わると、腰を上げた。
「じゃ、そろそろ失礼します」
「え?」
 慌てて上げた麻耶の顔が白かった。 悠香は知らん顔をして、スティックシュガーの空き袋で結び目を作っていた。

 麻耶は玄関の外まで送ってきた。 明らかに動揺している。 門に出るとき、なんでもない敷石の角につまずきかけた。
「あの……ごめんなさい、あの子空気が読めなくて」
 充分読んでいるから居座ったんだと、和基は思った。 だが、麻耶が焦って追ってきてくれたことが、悠香の態度で白けた心を一気に晴らしてくれた。
 冬の初めで、戸外は薄暗がりになりかけていた。 気の早い星が夕空にちらほら見える。 相変わらず人通りのない静かな道で、和基は不意に勇気がみなぎるのを感じた。
「麻耶さん」
「はい?」
「晩飯には時間早いし、まだ僕の家知らないよね。 古い官舎だけど、行ってみる?」

 客間でコートを脱いでしまったので、麻耶はセーターとジーンズ姿だった。 足元も突っかけのサンダルだ。
 それでも、ほとんど間を置かずに、麻耶は答えた。
「そうね。 もっとゆっくり話したいし」
 よーしっ! さすがに声には出さなかったが、その瞬間の和基はまさに、拳を天高く突き上げたい気分だった。
 麻耶は軽装のままで、どんどん歩き出した。 和基はとっさに、まだ腕にかけたままだった自分のコートを着せかけようとした。
 麻耶は振り返って笑みを浮かべ、そっと押し戻した。
「平気。 寒さには強いの」
「じゃ、これを」
 ベージュのマフラーを渡すと、麻耶は素直に受け取り、折り目を広げてショールのようにして肩にかけた。 ひとつひとつの動作がなめらかで、優雅にさえ見えた。
「ありがとう。 あったかいわ」
 二人は眼を合わせた。 麻耶の瞳に宿っている微笑の影を、和基は星よりも美しいと思った。


 三分も歩かずに、二人は和基の仮住まいに着いた。 あまりに普通の家なので、麻耶は驚いた様子だった。
「ここ?」
「そう。 入って」
 敷居をまたいで薄暗い玄関に入るとき、麻耶は軽く首をかしげ、照れたような口調で呟いた。
「お邪魔します」



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