表紙

水晶の風 31


 十一時を過ぎると、なんだかどきどきしてきた。 会いたい。 一刻も早く顔を見たい。 小学校に経験した初恋でも、こんなに胸はときめかなかった。
 五十分になるともう我慢できなくなった。 ちょっと待ち合わせがあるのでと中西に断わり、飛ぶように建物を出た。

 正午を七分ほど過ぎてレストランに到着すると、麻耶はもう先に来ていた。 右の奥、窓側の席に座り、頬杖をついてぼんやり道を眺めていた。
 縮まっていた和基の肺に、ゆっくりと芳醇な空気が満たされた。 約束したって、本人を目の前にするまで安心はできない。 麻耶が確かにそこにいる、という実感にしびれて、胸が温かくうるおった。
 テーブルを回って近づいてようやく、麻耶は彼に気付いて顔を上げた。 汚れの目立たない紺色のジャケット姿で、髪はバレッタでアップにしている。 むきだしになった首筋は白くしなやかで、年若に見えた。
「あ、こんにちは」
「また待たせました? 退屈そうでしたね」
「ちがうんです」
 麻耶は歯をちらっと見せて微笑した。
「荷降ろしでちょっと疲れちゃって。 でも大丈夫ですよ。 すぐ元気回復です」
 彼女の言った通りだった。 料理が来るころにはすっかり明るくなって、ニュースで見た『動かないハバビロコウ』という目つきの悪い鳥の話で盛り上がり、笑い声が出るまでになった。
「それがねえ、池のほとりでジーッと立っててピクリともしないの。 まるで大き目のオブジェみたいに」
「敵に襲われないのかな」
「目立たないから逆に安全らしいわ。 省エネなんだって」
 もう話し方も打ち解けて、いつの間にか友達口調になっていた。

 昼休みはあっという間に過ぎてしまった。 まじめな検事である和基は、一時を過ぎたあたりで内心悩んだが、二人でレストランを出たところで覚悟を決め、中西に電話した。
「これから調査に回ることにしました。 遠いから終わったら直帰します。 よろしく」
「ああ検事!」
 中西の慌てた声がした。
「瓜川たまきがまた嫌がらせされたそうです。 ガレージの扉にスプレーで、バンパイヤと大きくいたずら書きを」
 バンパイヤ……吸血鬼か――やはり放火の標的は瓜川だと、和基は確信した。




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