表紙

水晶の風 24


 その夜は、すぐに帰る気になれなくて、街をぶらっと歩いた。 デパートに入ってベルトを1本買い、それからコスメ売り場をぶらついて、パフューム・コーナーと銘打った香水売り場を眺めて回った。
 『クリスタル・ブリーズ』は、その名の通り澄んだブルーの小瓶だった。 値札を見て、思わず和基は目を大きくした。
「九千三百円?」
 小声が耳に入ったらしい。 にこやかな店員がここぞとばかり近づいてきた。
「最高級のお品です。 クリスマス・プレゼントにいかかですか? 喜ばれますよ」
「いや……」
 逢って間もない男に使い慣れた香水を贈られたら、嬉しいよりちょっと気味が悪いだろう。 そんなプレイボーイのような真似はしたくなかった。
 早々にデパートを後にして、和基は歩き出した。 駅へ急ぎながら、ふと考えた。 盗難事件があった晩、ずいぶん長く麻耶の傍にいたが、香りを感じたのは別れ際の一瞬だけだったことを。
――部屋に入ったとたんにプーンと匂ったと、スナックのママは言っていた。 残り香が何時間も残るほど、麻耶さんは香水を振りかけていないぞ――
 やはり彼女には何の関係もない事件だ、と、和基は自分に強く納得させた。


 その深夜、また騒ぎが起きた。 瓜川たまきの店『ラブリー』に、火災が発生したのだ。

 火が出たのは、閉店直後だった。 瓜川のママと従業員の菱野悠香〔ひしの ゆうか〕はまだ店の奥で帰り支度をしており、突然上がった火の手にパニック状態となった。
 店の裏は、ごく狭い庭があるだけで道には繋がっていない。 出口は表の扉だけなのだ。
 結局、悠香の機転で、カーテンを引き下ろして水にひたし、頭からかぶって窓ガラスを叩き割ると、二人して転がり出た。 そのときはもう、黒い木の扉は真っ赤に燃えさかって、二階のベランダまで火の粉が舞っていた。

 五分で消防自動車が駆けつけたが、店は既に手のほどこしようがなかった。 延焼を防ぐのが精一杯で、四時間ぶっ続けに散水したあげく、店の跡には焦げた木組みだけが残った。
 びしょぬれで、寒さと恐怖に震えている女たちは、すぐ病院に収容された。 幸い、厚いガラスを割ったときに飛び散った破片で切り傷を負った以外は、二人とも大きな怪我はなかった。



表紙 目次文頭前頁次頁
背景:硝子細工の森
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送