表紙

水晶の風 20


 長い廊下をせかせかやってきたのは、別に鬼でもドラゴンでもなく、きれいにメイクした中年の美人だった。 彼女は、そっぽを向いて逃げようとする佐々木の道を塞ぐ形で前に立ち、想像したより野太い声で言った。
「ねえ警部さん調べることないわよ。 犯人はわかってるんだから」
「あのね瓜川さん、証拠もなしにそんなこと言われても」
「あります! 香水の匂いが残ってたんだから。 部屋に入ったとたんにプーンと来たのよ」
「そんなにこってりと?」
 和基のほうに目くばせしながら、佐々木は適当に相手をしていた。 一方、和基のほうは、瓜川という珍しい苗字に聞き覚えがある気がして、思い出そうと頭をひねった。
「こってりはしてないわよ。 高いやつなんだもの。 すっきりしたいい香りなの。
 名前だってわかるわ。 クリスタル・ブリーズっていうの。 あの子の愛用品なのよ! ねえ、引っ張ってきて調べてよ。 はやく!」
「まあ、一応訊くだけは訊いてみますがね」
「何よその気のない言い方。 信じないの?」
 もつれながら、二人は遠ざかっていった。 和基はのんびりと出口に向かう途中、今聞いたことをちょっと考えた。
――クリスタル・ブリーズ……水晶の風か――
 いかにも香水らしい華やかな名前だ、と思ったとたん、記憶が戻った。 瓜川とは、確か不動産屋の牧田が口にした名だ。 すぐ隣りの家に泥棒が入って、明け方からうるさくてかなわなかった、とか言っていたっけ。

 石段を降りているときに、佐々木が追いついてきた。 また鼻に汗をかいている。
「たまりませんなあ、ああいう粘着質は。 おまけに思い込みが激しい。 香水がどうのこうのって、仕事柄酒飲んで朝方に帰宅してですね、残り香なんてわかるもんでしょうかね。 あんなのいちいち間に受けて片っ端から取り調べてたら、職権乱用でこっちが非難されますよ。
 さて、どちらへ?」
「本庁へ帰ります」
「それならすぐ近くだ。 さあさあ、乗ってください」
 グレーの落ち着いたセダンに、佐々木は和基を導いていった。



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