表紙

水晶の風 12


 シクラメンの名刺には電話番号が載っていた。 自営業の休憩はどうなっているのかわからない。 昼休みの時間にかけたら邪魔にならないだろうか。 気を遣いながら一時前にかけると、すぐに繋がった。
「はい、菱野園芸でございます」
 確かに彼女だ。 だが、生の声より細く、他人行儀に聞こえた。 出鼻をくじかれた気がしたが、それでも和基は勇気を奮って明るく言った。
「合田です、こんにちは」
 とたんに電話の向こうの声が変わった。 しっとりとして親しみやすくなった。
「あ、おとといの晩はどうも」
「今お忙しいですか? それなら後でかけなおしますが」
「いいえ、ちょうどお昼食べ終わったところで」
 声に快い驚きが混じった。
「気配りされるんですね。 男の人に電話で都合を訊かれたの初めてです」
 和基としては自然にやったのだが、好印象を与えるのに成功したようだ。 ほっとして、嬉しくなった。
「それじゃ、ええと、今夜か明日の晩ですけど、もし時間があれば食事に行きませんか?」
「ほんとに? ぜひ。 今日あいてます。 これからずっと」

 うまく行き過ぎだ。 和基は軽く目まいを起こしそうになった。 自惚れの強いほうではないのだが、彼女も自分を待っていたとうすうす感じた。
「あ……それなら、ついでに映画も見ませんか? 『光の騎士ランスロ』っていう外国物なんですが」
「知ってます。 ロードショーしてますね」
 なんかすごい俺――和基は次第に頭がのぼせて頬が熱くなってきた。
「あの、三時二十分からですけど、行け……ますか?」
 さすがに遠慮がちになった。 しかし、麻耶の答えは明快だった。
「ええ大丈夫です。 ありがとう、誘ってくださって。 それで、どこで待ち合わせします?」
「ああっと……」
 慌てて、和基はさっき大きな字で書いたメモを見た。
「テアトル・オデオンって映画館でやってるようなんですが」
「はい。 じゃテアトル・オデオンの前で。 三時過ぎには着くようにします」
 挨拶をして電話を切った後、しばらく和基は何も手につかなかった。
 
 


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