表紙

水晶の風 5


 若い娘は、そのまま真っ赤な車の助手席に乗り込み、車はつむじ風のように走り去った。
 スピード違反だな、あいつら――感心しない目つきで和基が足を止めて見送っていると、通用門がもう一度開いて、中から白い花のような顔が覗いた。
 行き掛かり上、どうしても目が合った。 それは紛れもなく、中西の言う『菱野麻耶さん』の顔だった。
 今度こそ、その顔に驚きの表情が見てとれたため、和基は焦った。 二日間に三度の出会い。 偶然にしては多すぎる。 わざと家の前をうろうろしていたと思われたら……
 だが、和基が反応に困っている間に相手の方が門から出てきた。 そして、小声で詫びた。
「近所に越してこられた方ですか? すみません、うるさくして」
 どうやら、静かな道に鳴り響いた金切り声を気にして見に来たと思われているらしかった。
 当惑して、和基も声を落とした。
「いや、通りがかっただけです。 気にしないでください」
「きょうだい喧嘩で……恥ずかしいです、ほんとに」
 その声には、かすかにうんざりした響きがただよっていた。
 話が途切れた。 これっきりになりたくないな、という気持ちが和基の肩を押し、また語り出すきっかけを作った。
「男同士だと取っ組み合いになるんですよね。 兄とはそうでした」
 考え過ぎかもしれないが、彼女のほうもすぐ話を合わせてくれた気がした。
「お兄さんがおられるんですか?」
「ええ、今は別に所帯持ってますが」
 兄の茂紀〔しげのり〕は愛知で地裁の裁判官をしている。 有名弁護士の娘と結婚して子供は二人だ。
 彼女は小さな溜め息をついた。
「お兄さんはいいですね。 私も小さい頃、強いお兄さんがいたらなあっていつも思ってました」
「うざったいもんですよ、実際は。 威張ってくるしね。 弟のものをいろいろ巻き上げるし。
 まあ、下が男じゃなく女なら話は違うのかもしれない」
 そこで彼女は、初めて微笑んだ。 とたんに楚々とした顔がぱっと華やいだ。
 


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背景:硝子細工の森
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