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 空の魔法 81 子供の幸福



 次に絵麻が目を開いたとき、もう檜家のカーテンは引かれていて、リビングはほかほかと暖まっていた。
 絵麻はまず、見慣れないカーテンの模様をぼんやり眺め、お母さんいつ取り替えたんだろうと首をかしげた。 それから横で小さな声がするのに気づいた。
「ブーン、ウィーンウィーン、ウーウー」
 やわらかいクッションの上で頭を回すと、二メートルほど離れた床の上に文哉が線路を敷いて、自分で作ったカラフルな列車を走らせていた。 そしてその横には泰河が片膝を立てて座り、線路脇に小さな樹木や建物を並べていた。
 2人を眺めているうちに、心の焦点が定まった。
 そうだ、ここは私の家じゃない。 檜家だ。 眠り続ける泰河を守りたくて、ずっと傍にいて……
 だが、今目の前にあるのは、別世界のようにのどかな光景だった。 年の離れた兄である泰河が、若すぎる父親のようにも見えた。 写真に収めて、いつまでも取っておきたい。 不意に絵麻は強くそう思い、服のポケットに手を入れて、入っているはずのスマホを探した。
 その動きを目の端で捉えたのだろう。 泰河が顔を上げた。 眼が赤い。 絵麻がそう気づいたとたん、彼は信じられない速さで立ち上がり、次の瞬間にはもう絵麻の傍に来ていた。
 思い切り抱きしめられて、絵麻は目を閉じた。 広い居間には三人の子供たちだけで、昇と初美の気配はなかった。
 何度も何度も荒々しく頬ずりしながら、泰河は腹の底から低い声を押し出した。
「どうしてわかった? なあ、どうしてだ? オレが助けを呼んだんかなあ」
 絵麻はカッと熱くなった泰河の体に腕を回して、囁き返した。
「きっとそうだよ。 生まれてから、あんなに心臓バクバクしたことないもの」
 そして思った。 父と初美叔母さんは、すべて泰河に話したんだと。 そうするしかなかったのだろう。 二人とも心の痛みに耐え切れなかったのだ。


 絵麻が寝かせられていたのは、泰河が睡眠薬で眠っていた同じソファーだった。 ただ、絵麻にはクッションで枕が作ってあって、上等なウールの毛布がかかっていた。
「でも泰河を助けたのは、変な雷かもしれない。 そんなに大きくなかったけど、真横に走って隣のビルに飛び込んだんだよ」
「聞いた」
 泰河の声はしわがれていた。
「社長は弾きとばされた気がするって言ってた」
 今頃になって、絵麻は目の前がぼんやりと曇るのを感じた。 やりきれない涙が頬を伝った。
「ごめん。 ごめんね泰河。 お父さんほんとに自分勝手で」
「大事に育てられたからな」
 別に悔しそうでもなく、泰河は呟いた。
「三日間水しか飲まないと腹がどうなるかとか、わかんないんだよ」
「泰河もそんなだったの?」
 彼はうなずき、無邪気に遊んでいる文哉に目をやった。
「文哉だけは何とかしてやりたかった。 オレも人のこと非難できないんだ。 穂高を何度も階段から突き落とそうと思ったから」
「そうだよね」
 絵麻は身震いした。
「話聞いてもウソとしか思えない。 あんな素直でかわいい子をいじめるなんて、人じゃない」
「腹がすいてふらふらすると、オレなんかは荒くなって、かっぱらっても食べようとするけど、文哉はちがうんだ。 でも、死にたがってたなんてなあ。 小っちゃいから、楽に天国へ行けると思ったんだろうな」
 実際は七転八倒の苦しみが待っている。 絵麻は身震いした。
「あの薬、何だった?」
 泰河は眉をしかめて思い出そうとした。
「えーと、ヒヨ……ヒヨスチンとか言ってたな。 ラベルに書いてあった」
 後で調べてみよう。 絵麻は文字通りむかつきながら、そう考えた。


 気が付くと、文哉が遊びの手を休めて、固く抱き合った二人を見ていた。
 絵麻は照れて、泰河の背中越しに小さく手を振って挨拶した。
「文哉ちゃん、それ楽しい?」
 とたんに彼の顔中が笑いでくしゃくしゃになった。
「うん! ありがとう! 汽車いっぱい作れるよ。 お兄ちゃんが、駅作ってくれたの」
「絵麻いいものプレゼントしてやったな」
 耳元で泰河がささやいた。  







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