表紙

 空の魔法 80 孤独な戦い



 初美は放心状態で、文哉をしっかり抱えたまま床に座り込み、ゆっくりと赤子のように揺すっていた。 彼が本物の赤子だったとき、やりたくてもやれなかった埋め合わせをするように。
 絵麻は心安らかだった。 もう誰に邪魔される心配もなく、眠り続ける泰河の横に膝をついて、ジャンパーの肩に頬を乗せていた。
 信じてよかった。 どこまでも信じぬいて本当によかった。 どんなにいじめられても、泰河が毒を盛るなんて、ありえない! 事情を聞いて絵麻はすぐそう思ったし、信念は揺るがなかった。
 泰河が万一蔵人を殺すとすれば、カッとなって殴り倒して、打ち所が悪くて死んでしまうぐらいだ。 それならせいぜい過失致死だろう。 蔵人の告発は勘違いか、または死ぬときまで悪意に満ちていて、泰河に罪をなすりつけようとしてウソを言い残したのだと思った。


 気が付くと、昇が手近な椅子にぐったりと腰を落としていた。 いつもきりっとして若々しい顔が、年以上に老けて見えた。 目も細い線のように縮まっていたが、絵麻と視線が合ったとたん、カッと見開かれた。
「逆か。 全部逆だったのか?」
「お父さん」
「泰河が文哉を守ってたんだな。 高校生のときからずっと!」
 いたたまれなくなって昇は椅子から立ち上がり、窓辺まで歩いていって、また戻ってきた。 じっとしていられないようだった。
「文哉だけじゃないかも」
と、初美がぼんやりした声でつぶやいた。
「前に泰河が食事中に、テーブルをひっくり返したことがあったの。 反抗期なんだと蔵人は言ってたし、泰河もそんなふうに見せていたけれど、あれはもしかしたら」
 昇が苦しそうに、初美が言い終わらなかった言葉を続けた。
「料理に毒が入っていたのか」
「フグのお刺身をお土産に買ってきた日だったのよ、蔵人が」
「蔵人が。 なるほど」
 昇は天井を見上げて、強ばった笑い声をもらした。
「食べた全員がテトロドトキシン中毒になって、自分だけが危うく助かるって筋書きだな」
 初美は祈るように両手を合わせ、眠る泰河に向かって頭を下げた。
「私、本当にバカだった。 あの兄妹の言うことを丸ごと信じて、ずっと泰河を不良だと思ってた。 だから話しかけてきても無視して、相談にも乗ってあげなかった」
 昇は無言だった。
 絵麻は、ソファーからずり落ちた泰河の左腕をかかえて持ち上げようとしたが、もう疲れはてて力が出せなかった。 それで、腕を抱いたまま目を閉じた。
 大好きだよ、泰河── 心の中で、自分でも驚くほど優しい声が囁いた。
──いつも一緒だったし、これからも一緒にいようね。 泰河はいつだって、私の一番だった…… ──
   







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