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 空の魔法 76 事件の裏に



 空が暗くなるにつれて、昇の顔も陰になり、現実味が薄れていった。 絵麻は夢を見ているような気になった。 どこか遠くの異世界に巻き込まれ、裏返しの現実を体験させられているにちがいない。 こんな絶望的に恐ろしい話が、地球上で起きるはずがない!
「そのとき初美が失神した。 むしろよくあそこまで耐えられたものだと思う。 昔から気の強いほうじゃなかったからな。
 抱き上げて寝室まで運んで、戻ってみると、泰河がキッチンで何かを洗っていた。 お父さんが見ているのに気づいて、水を飲むふりをしたが、あれは蔵人に飲ませたものを洗い流していたんだ。
 それで決定的になった。 正直言って、お父さんもパニックになりかけたよ。 家族の中で殺人が起きて、小さいときから知っている子が犯人だなんて。 おまけにその子はもうお父さんより背が高くて、力も強いんだ」
 絵麻は声を出そうとしたが、喉がひからびて出てこなかった。 口をパクパクさせる娘を、昇は愛惜をこめて眺めた。
「泰河は落ち着いていた。 殺すと決めたときに、後のことも考えていたんだろう。 この子は賢いからね。 僕をまっすぐ見て、言ったよ。 『警察に通報します?』」
 昇の顔が歪み、右手が動いてベンチを強く叩いた。
「できるわけないのを、初めから承知だったんだ!」
「なぜ?」
 ようやく絵麻の口から、かすれた問いが漏れた。 昇を目をそらし、もぐもぐと呟いた。
「それは、スキャンダルになるからだ。 会社の命運にもかかわる。 初美や文哉が被害を受けたならともかく、蔵人なんかのために」
 語尾が途切れた。 絵麻もそんな父の気持ちがよくわかった。 長年ネチネチと脅迫されてきたのだ。 死んでくれて嬉しいぐらいだっただろう。
「だから、通報はできないと答えた。 そしたら、バイト友達に保冷車の運転をしてる兄さんがいるから、借りて遠くまで蔵人を運んで、どこかへ埋めてくると言うんだ。
 もちろん止めさせた。 いくら友人でも保冷車を貸せと言われたら怪しむだろう。 でも、そこで思いついた。 泰河は死亡時刻をごまかすために保冷車で凍らせようと考えたんだ。 それなら危険を冒さなくても、ここでできる」
 絵麻はまだ頭がぼんやりしていたが、この発想は理由がわかった。
「お祖父ちゃんの冷凍庫?」
 昇は感心したようにうなずいた。
「さすがだな。 親父には客が多くて、最大級の冷凍庫を買いこんでいたからな」
 絵麻はゆっくりと口を押さえた。
「じゃ、泰河は……ずっと蔵人おじさんと一緒の部屋にいたの?」
「同じ部屋じゃない。 親父の家はうちの倍あるんだ。 部屋数もうちの倍だ。 冷凍庫が置いてあるのは台所の奥の備品室だし」
「それにしたって」
 もう絵麻はわめき出しそうだった。 死体と同じ家に二ヶ月も! しかも殺されて恨みに凝り固まった死体だ。 泰河は毎晩、どんな思いで眠りに付いたのだろう。
 そうか。あの頃、泰河が夜のバイトをたくさん取ってたのは、そのせいか──絵麻はようやく気づいた。 疲れ切って泥のように眠るしかなかったのだろう。 かわいそうに、泰河……
 娘の絶望的な顔を見て、昇はぼそっと言い訳した。
「あの部屋に泊めてやれって言ったのは、絵麻だろう? 泰河を外へ出すわけにはいかなかった。 でも、初美のところに置くわけにはいかないじゃないか。 初美すごく怖がっていたし」
「でも、私と一緒にいるのは禁止しなかったのね」
 絵麻がささやくと、昇は顎を上げた。
「絵麻には護衛をつけた」
「えっ?」
「ずっと三人交代で見張らせてたんだ」
 それを聞いて、絵麻は反射的に立ち上がってしまった。







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