表紙

 空の魔法 75 動かぬ証拠



 絵麻はきょとんとした。
 それから、笑い出しそうになった。 こんな馬鹿げた言いがかりは聞いたことがない。 泰河が蔵人おじさんを殺す?
「何言ってるの、お父さん? 蔵人おじさんは遠くで事故に遭って……」
 昇は無表情なまま、瞬きもせずに娘の目を見つめて話を続けた。
「蔵人は自分の家で死んだんだ。 去年の五月二一日に」


 五月二一日。
 その日付を聞いたとき、絵麻の胃が小さくよじれた。 先ほどの風邪がぶりかえしてきたような気分がして、吐き気をもよおすほど不快な何かが心に覆いかぶさった。
 嫌な思い出がすぐよみがえった。
「気味の悪い悲鳴が聞こえた日?」
「そうだ」
 はるか彼方から雷の音が響いてきた。 そして今頃になって、濃い灰色の雲が上空に集まり、あたりが翳ってきた。
 雲行きが怪しくなっていく中、絵麻は懸命にあの日のことを思い出そうとした。
「あんまり嫌な声だったから、近所に通報されたよね? でもあの後、蔵人おじさんはぴんぴんして玄関から出てきたけど?」
「あれは録音だ」
 昇は吐き捨てるように言った。
「蔵人が知り合いの音効屋に頼んで、作ってもらったんだ。 友達を脅かしてやるんだとか何とか言って」
 絵麻はあきれた。 蔵人という男は、ずるくて汚い上に幼稚だったのか。 子供でもあんな不気味な合成音を作って、大音声で流したりしないだろう。
「いったい何のつもりで?」
「さあな。 ともかく、夜に初美に呼び出されて向こうの家に行ったら、蔵人はもう死んでいた。 穂高さんが早く帰る日で、初美は一人で腰が抜けそうになっていた。 たぶんそういう日を狙ってやったんだ」
 絵麻は激しく顔を上げた。 その場にいたのなら、初美おばさんが一番あやしいじゃないか!
「おばさん一人? 泰河はいなかったの? それで何で犯人扱い?」
「初美は外出から戻ったばかりだったんだよ。 うめき声がしたから明かりをつけて、倒れている蔵人を発見したんだ」
「でも……」
「蔵人は初美に小型録音機を渡して、録音させた。 取材用にいつも持ち歩いていたやつだ。 誰に殺されたか話せるうちに言い残しておきたかったが、真っ暗だし苦しんでいて、録音ボタンを押せなかったらしい」
 たちまち絵麻の全身があわ立った。 まさか、そんな……!
「その録音を聞かされた。 初美があたふたして最初のところは入っていなかったが、途中からはよく聞き取れた。
『まさか泰河がこんなことをするとは。 家族として扱ってやったのに。 ずっと面倒を見てきたのにあのクズ野郎! ねたんでいたんだ。 嫉妬してたにちがいない。 ああ苦しい苦しい、胃袋が焦げる。 初美、頼む救急車呼んでくれ、君はいい妻だ、いつも僕に尽くしてくれる。 元気になったらもっと大事にするから』」
 父は棒読みで、蔵人の最期の言葉を繰り返した。 感情を込めないので、逆にしんしんと恐ろしかった。
「二度聞いただけで、頭にこびりついてしまった。 泰河には聞かせていない。 録音があること自体知らせなかった。 当然だろう? 連れ子の息子が父親を毒殺するなんて」
 昇は絶句し、右手で額を激しくこすった。
「おまけに、ここまで録音したところで発作が起きて、蔵人は動かなくなったそうだ。 毒が心臓に回ったのかもしれない。 もう救急車じゃ間に合わないとわかって、初美はお父さんを呼んだ」
 父の声が苦味を帯びた。
「そこへ泰河が帰ってきた。 アルバイトしていたそうだ。 驚いた芝居がうまかったよ。 蔵人の息が残ってないか念入りに確かめて、何が起きたのか我々に訊いた。 そして、たぶん毒を飲んだんだろうと説明すると、なんともいえない顔になった。 奇妙な表情だったな、あの顔は」







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