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空の魔法
68 どん詰まり
絵麻は面白くなかった。 須藤永にもう一度会う気があるかどうかはっきり言わずに、眠いと言い通して自分の部屋に引っ込んだが、いらいらがつのってきて我慢できず、ガラス戸を開けてバルコニーに出た。
隣に合図を送らなかったのに、まもなく柵の向こうで人の気配がした。
「泰河?」
絵麻が息だけで囁くと、同じようにひそやかな声が返ってきた。
「何かあった?」
「うん」
黙っていられなかった。 喉の奥にとげがささったようで、吐き出さないと血が流れ出しそうな気分だった。
「お父さんがね、見合い話持ってきた」
横で衣擦れの音がザラッと響いた。
「見合い?」
「そう。 山梨のワインセラーの次男。 向こうが交際申し込んできたんだって。 一回しか会ったことないのに」
珍しく皮肉屋になって、絵麻は冷ややかに付け加えた。
「夏瀬絵麻に興味あるんじゃないよね。 ナツセ・ビルの社長の娘だからだよね」
隣は何も言わず、ただ静かに息をしていた。 絵麻はたまらなくなって柵を握り、顔を押し付けて横にいる泰河を見ようとした。
「私、その人の顔覚えてない。 付き合う気もない。 それはお父さんもわかってることだと思う。 ただ、断ったら次連れてくるか、泰河をよそへ行かせてしまうか、どっちかだ」
「絵麻」
低い声が聞こえた。
「用心したけど、役に立たなかったな」
「……うん」
不意に鼻が熱を持って、つんと痛くなった。 こんなの嫌だ。 泰河がいなくなったら、学校も家も灰色になってしまう。 張り合いが消えて、勉強する気も失せるだろう。
「オレ、準備するわ」
絵麻の心臓が凍りついた。
「出てくの?」
戻ってきた答えは、足元が震えるほどのものだった。
「二人でな」
そして、柵を握っている絵麻の指が、熱い手にしっかり掴まれた。
絵麻はその手に額を押し付けて、目をつぶった。
「うんとうまくやらないと」
声が震えていて、自分で驚いた。 泰河の手に力が入った。
「これから計画立てる。 まず金を確保して、どうやって姿を消すか考える」
絵麻は無言で泰河の手にキスした。 彼は並みの大学生ではない。 手当たり次第にバイトして、世の中のせちがらさをよく知っているし、体力も頭脳もある。 泰河なら昇の追跡の及ばないところへ、うまく逃げおおせるかもしれない。
たとえ発見されても、駆け落ちすればもう怖いものなしだ──絵麻の頭の奥で、小さな声がそうそそのかした。 父はスキャンダルを望まないだろう。 しぶしぶでも二人を認めるにちがいない。 母を悲しませるのは申し訳ないが、泰河を失うのはもっと辛かった。
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