表紙

 空の魔法 66 困る申し出



 翌日は英語教室の日だった。 今度の加奈母子の件でいっそう絆が固くなった絵麻と泰河は、レッスンの間もめずらしくボーッとしていて、お互いのことばかり考えていた。 それで、じれた英語教師に注意されてしまった。
「今日は英語を話す気分じゃないようですね。 次もこんなだと、授業料がもったいないですよ」
 泰河はあわてて目を見開き、不器用に弁解した。
「あの、知り合いの人が今日、手術に成功したんです。 難しい頭の手術だったんだけど、五時間かかってやっと」
 日本人の教師は、しかめていた眉を開き、早口で外国人教師に伝えた。 二人が派手な身振りで祝福してくれたため、絵麻は少し気がとがめたぐらいだった。


 帰り道、泰河は思い出し笑いをしながら言った。
「ほんとの理由は加奈のかあさんの手術成功じゃないけどな」
「でもホッとしたのは事実だよね?」
「そりゃそうだ。 加奈が電話口でメソメソ泣くの聞いて、はじめて嬉しかった」
 泰河は女に泣かれるのが苦手らしい。 そういえば、これまで泰河といたとき泣いたことなかったな、と、絵麻は思い返した。 彼といるといつも心強かったし、楽しかった。
「加奈さんってお父さんにあんまし似てない。 美人だよね」
 電車を降りるとき、そう絵麻は言ってみた。 すると泰河は上の空で答えた。
「そうか? まあいい顔かもしれんけど、オレの好みじゃないな」
 絵麻はちょっと嬉しくなり、そんな自分をひそかに叱った。

 二人は恋の一番楽しい時期にさしかかっていた。 もう手を握るだけでは満足できず、泰河はパーカーのフードを深めに被り、絵麻はチェックのジャケットの襟を高く立てて顔をわかりにくくして、お互いに腕を回してくっついて歩いた。 もう十一月の初めで、日が落ちると気温はぐんぐん下がってきていた。
 自宅ビルの近くに来て、腕を離さなければならないのが辛かった。 恋人と明かして堂々と並んで街を歩ける日は来るのだろうか。 絵麻の胸をいつもの不安がかすめたが、今夜も全力で追い払った。 まさか家に戻ると厄介な事態が待ち受けているとは思わずに。


 びっくりする提案が持ち出されたのは、いつものように母手作りのおいしい魚料理を残さず平らげて、家族三人久しぶりにのんびりとボードゲームに興じている最中だった。 時間があるときに仲良しの三人がよくやる『ザ・ゲーム』だ。 数字の一から昇順に、百から降順に札を出していき、すべて並べることができたらプレイヤーたちの勝ち、途中で札を出せなくなったらボードの勝ち、という遊びで、プレイヤーは互いに助け合う。 喧嘩にならないので、なごやかに楽しむことができた。
 その晩は、久しぶりにカードを並べきることができた。 三人は大はしゃぎでアッサムティーで祝杯を挙げた。 父母がブランデーをちょっぴり入れているのを眺めながら、絵麻がミルクをたっぷり入れて飲んでいると、父がさりげない口調で言い出した。
「絵麻、須藤さんの息子たちと知り合いなんだって?」
 少しの間、絵麻はきょとんとして父を見つめ返した。 須藤? そんな知り合い、いたっけ?
 娘が思い出せないのを知って、昇は苦笑した。
「なんか、誕生祝のとき、おいしい店教えてもらったって」
「ああ、サーロインステーキ?」
 絵麻はようやく、記憶の中から明るい顔の兄弟を探り出した。
「そう、そんなこと言ってたな。 その須藤永〔すどう ひさし〕くんが、絵麻を誘ってもいいですかって許可求めてきたんだ」







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