表紙

 空の魔法 65 逢った結果



 いつもならなんでもない日常の風景が、今の絵麻には切なかった。 父が必死で守ろうとしているもの、毎日のささやかな団欒は、とっくに危うくなりかけていたのだ。
 今日の午後、父が箱根へ見舞いに行ったことで、かろうじて平和の糸はつながった。 だが絵麻は知ってしまった。 父がもう一組の母子を養っていることを。 加奈の母は土産物屋を開いて一生懸命働いているらしいが、店は赤字にならないのが精一杯というところで、昇の仕送りがなかったら生活は苦しいはずだと、加奈は隠さずに告げていた。


 夜になって、泰河から合図が来た。 絵麻はそっと部屋のガラス戸を開け、町の騒音がかすかに響いてくるバルコニーへ出た。
 泰河はもう柵の向こうに来ていて、手を振ってきた。 絵麻はすぐ彼に寄り添い、柵の隙間を縫ってあらわれた手を握りしめた。
「ジャンパーにジーンズで来てくれたって、加奈が電話で言ってきた」
 いきなり泰河が低く言った。
「おかあさんすごい喜んだらしい。 子供みたいにはしゃいで」
「効果があってよかった」
 やるせない気持ちで、絵麻は応じた。 どうしても複雑な気分になる。 お父さんの昔の恋人──いくらお母さんと逢う前でも、父が他の女の人と抱き合ったと考えるのは辛かった。
「手術いやがらなくなったから、きっと成功するって加奈も喜んでた」
「お父さん、加奈さんに何て言ったかなあ」
「手術が終わるまでいてやれなくてごめん。 そう言ったらしい」
 絵麻は驚いて顔を上げた。 おそらく加奈にとって、すごく嬉しい言葉だったろう。
「お父さんもいいとこあるんだ」
「おい、そりゃないよ。 いつも優しくされてるくせに」
「私にはね。 でも加奈さんには……」
「あの電話と、それに本人に会ってみて、性格いいってわかったんだろ」
「お父さん加奈さんに会ったことなかったの?」
「ああ、一度も」
 そう答えてから、泰河は大きく息を吐いた。
「会って情が移るのが怖かったんだよ、きっと。 社長ならそうだ」
「泰河は加奈さんちに手紙を返しに行って、知り合ったんだよね?」
 絵麻のさりげない問いに、泰河は重い口調を返した。
「……そうだ。 オレも初めは誤解してて、加奈の母さんがゆすりに一枚噛んでるのかと思ったんだ。 だから確かめに行ったんだが、あの母子は手紙が消えてたことに気づいてなかった。 めっちゃ能天気なんだ」
「そうだったの?」
「うん、ここにあるはずーとか言って箱出してきて、なかったら急に慌て出してさ、どうしよう昇さんに申し訳ないって」
 確かに母も子も人がいいらしい。 泰河は空いている手で乱暴に髪をかきあげると呟いた。
「あやまっといてくれなんて言うんだ。 このオレにだぜ。 できるわけないだろう」
「蔵人おじさんが盗んだって話したの?」
「言うっきゃないから。 そしたら向こうの母さんすごいショック受けて、私がバカだったって頭かかえてた。 酔うと陽気になって口が軽くなるタイプなんだと」
「しかたないよ。 相手が詐欺のプロみたいな人だったんだから」
 そんな男の息子を、手紙を返しに来てくれたからとすぐ信用してしまう加奈母子は、呑気すぎるのか、それとも人を見る目があるのか。 絵麻にはよくわからなかった。







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