表紙

 空の魔法 59 父の青春は



 電車を乗り継いで目的地に着くまで、絵麻、泰河、加奈の三人はほとんど無言で過ごした。 まだ夕方のラッシュは始まっていないが、適度にすいているだけに、重要な話をするのははばかられた。
 加奈が宿を取ったホテルは、駅前の一等地にあったが、路地を少し入ったところなので目立たない。 だからわりと安いのかもしれなかった。 実用的なエレベーターに乗って三階に行き、小ぎれいな部屋に入ってロックすると、泰河はようやく緊張を少しゆるめ、背負ったアーミーカラーのデイパックをどさっとテーブルに下ろした。
「加奈が押しかけてきたんだろ?」
 いきなり前置きもなくぶっきらぼうに訊いた。 絵麻はすぐには答えられず、自分も通学鞄を泰河のデイパックの横に置き、冷蔵庫のほうへ行く加奈の背中を目で追った。
「何か飲む?」
 加奈のかぼそい声が聞こえた。 泰河がうなるように答えた。
「コーヒーのブラックあるか? 砂糖ぬきの」
「あるよ」
「じゃ、それ」
 加奈が振り返ってすがるように見たので、絵麻は仕方なく言った。
「ジュースにします」
「いろはすみかんでいい?」
「何でも」
 すぐに缶とペットボトルを抱えて、加奈が戻ってきた。 自分の分もいろはすにしている。 絵麻は内心コップが欲しかったが、後の二人が口飲みで平気らしいので言い出せなかった。
 絵麻がカウチに座ると、泰河も横にどかんと腰を下ろした。 静かに座りたかったようだが、カウチが低くて脚が長すぎ、勢いがついてしまった。 加奈は泰河の右斜めにある一人掛けの椅子に、ゆっくりと席を取った。
 三人の位置が決まったところで、泰河が言った。
「絵麻を巻き込むなって言っただろう?」
 加奈が答える前に、絵麻がすばやく説明した。
「そんな気はなかったと思う。 うちのビルの前にいたの。 たぶんお父さんに会いに来たんでしょう」
「かばうなよ!」
 泰河の声がかすれた。
「いくら社長が重役出勤だからって、午後の三時に家にいるかよ! 絵麻か素子おばさんに会おうとしたんだ。 そうだろ?」
 加奈は顔をくしゃくしゃにした。
「わかんない。 気がついたら、あそこにいたの。 お父さんの住んでいるところが見たかったのかも」
「勘弁してくれよ」
 泰河はつぶやき、髪の毛に手をやってくしゃくしゃにした。
「おまえら本当にわかってない。 昇おじさんはちょっと見やさしそうだけど、週刊誌ネタになるのを一番いやがるんだ。 ああいう地位にいると敵が多いんだって」
「変装して来てくれないかな」
 加奈は必死だった。
「お父さんコンタクトなんだよね? メガネかけて若い格好して来れば、わからないよ」
「なんで知ってるの?」
 絵麻は訊かずにいられなかった。 加奈は目をパチパチさせ、自分のバッグから古びた小さなアルバムを出してきた。 それを受け取った絵麻が開くと、一枚目に入っている六枚の写真のうち半分に、メガネ姿の昇と加奈の母親が写っていた。 残りの三枚は集合写真で、若者たちの中には絵麻の知っている顔もあった。
「これ、伊坂のおじさんだ」
「大学の友達と箱根に来たときの写真なの」
 絵麻が、横から覗き込んでいる泰河に若々しい伊坂重徳を示していると、加奈がぽつんと説明した。
「お母さんと由香子おばさんとダブルデートしたんだって」
 由香子おばさん?
 絵麻はどきっとして顔を上げた。 伊坂のおじさんの奥さんは、たしか由香子という名前だった。








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