表紙

 空の魔法 58 三人だけで



 絵麻は言葉もなく、大泣きしている加奈を見つめていた。 広い道からは引っ込んだ場所に座っているが、前には小さな広場があって、ぽつぽつと人が行きかっている。 その何人かが不審そうに振り返って見ていくので、絵麻は次第に不安になった。 ここは家のすぐ近くだ。 加奈がこんなに目立っていては、誰かが目撃して後で父に知らせるかもしれない。
「加奈さん」
 絵麻は、まだしっかり握られている右手に力を入れ、加奈を手前に引くようにして、小声で呼びかけた。
「ここにいるとまずいよ。 でも、どうにかしなきゃいけないから……加奈さんホテルに泊まってるのよね?」
 加奈はティッシュを一袋全部使ってしまって、鼻を真っ赤にしてうなずいた。
「これから行っていい? どうしたらいいか話し合えば、いい考えが出てくるかも」
 加奈は口を開け、その口を手で覆った。 長くきれいな指の上で、目がまん丸になった。
「あの……力になってくれるの?」
 こもった声が嬉しそうにささやいたので、絵麻はぎこちなく答えた。
「力なんてないけど、でも少しならお父さんを動かせるかもしれない。 動いてほしいと思うの。 大事な手術の前なんだから」
 加奈は何度もうなずき、両腕で自分の体を抱きしめた。 明らかに感激しているようだった。
 絵麻は自分のティッシュを通学バッグから探し出して加奈に渡し、改めて携帯で泰河を呼んだ。
「泰河? 今どこ?」
「家」
 絵麻はホッとして全身の力が抜けた。
「わるい、ちょっと出てきてもらえる? A公園前にいるんだけど」
「どした?」
 絵麻が理由を言わずに泰河を呼び出すなんて、これまでにないことだ。 泰河の声がすぐ緊張したのがわかった。 絵麻はもう遠慮せず、はっきり言うことにした。
「お姉さんが来て、全部話してくれた」
 電話の向こうから、鋭く息を吐き出す音がした。
「えーっ!」
「これから加奈さんの泊まってるホテルへ行って、どうすればいいのか話そう」
「どうすればって、なあ絵麻、絵麻はわかってないんだ」
「じゃ、わかるようにして。 来てくれる?」
「行く。 そこ動くなよ!」
 泰河のほうから電話は切れた。
 いったん携帯を耳から外して、絵麻は加奈に尋ねた。
「電車で来た? 何線?」
「京王線と地下鉄」
 加奈は不安そうに答えた。
「調布の駅前にあるホテルなの。 友達に教えてもらった」
「ここから何分ぐらい?」
「三十分ちょっとかなあ」
 絵麻は急いで携帯の時計を見た。 今三時五○分。 行き帰り一時間として、帰りは六時を過ぎてしまう。 でも連絡すれば、八時までは外にいても大丈夫だった。
「ちょっとうちに電話するね」
 加奈にことわって、絵麻は手早く母に連絡を取った。 母の素子は夜に知り合いのピアノの発表会があるとかで、行きつけの美容院にいた。
「友達の家に呼ばれたの。 八時前には帰るから」
「わかった。 用心はちゃんとしてね。 催涙スプレーとブザーは必ず持っていくこと」
「はい」
 絵麻は神妙に答えた。 夏瀬一族は長者番付がまだ発表されていたときには、必ず上位に入っていた。 だから金目当てに誘拐される危険は常にある。 中学生時代に護身術の講習を受けたこともあった。
 両親が泰河と仲良くするのを許していたのは、そのせいもあるのだろうと、絵麻はずっと思っていた。 彼はいわゆる草食系ではない。 細身ながら筋肉がつくところにはしっかりついていて、顔立ちも精悍で、用心棒としてはうってつけだった。
 電話を切った直後に、泰河が姿を見せた。 そして、二人の少女が仲良くベンチに座っているのを見て、何ともいえない複雑な表情になった。
「加奈、おまえがここまでするなんて思わなかったよ」
「ごめんね」
 加奈がおろおろ声になったので、絵麻は急いで立ち上がった。 また泣かせてしまって人目を引くのはよくない。
「調布のホテルに泊まってるって。 知ってた?」
 泰河はすぐに答えなかった。 だから前から知っていたのがわかった。 絵麻は口元を引き締め、静かに続けた。
「そこで話そう。 三十分ぐらいで行けるんでしょう?」
 泰河は頭に手をやって反対しかけたが、途中で気を変えた。
「そうだ……な。 もうそのほうがいいかも」








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