表紙

 空の魔法 48 この子は誰



 家へ戻って、夕方からの外食ディナーと劇鑑賞も楽しかったが、絵麻はなんとなく上の空だった。 どんなに模範的ないい子でも、時が来れば親より恋人のほうが大事になる。 絵麻は、久しぶりに家事から解放されてくつろいでいる母がうれしそうなので、むしろ母のためにいい誕生日だったと思った。
「ねえお父さん」
 帰り際、父が奮発して雇ったリムジンの中で、落ち着かない気分になっていた絵麻は、プログラムをもう一度よく見ようとバッグの中を探してシニアグラスを見つけた母と、ふざけてその眼鏡を取り上げてかけてしまった父を見比べながら言った。
「なんだい?」
「そんなことすると、ツルのところが広がっちゃうわよ」
 母が笑いながら、困っている父から眼鏡を取り上げた。
「これは大丈夫よ。 形状記憶になってるから」
「僕、そんなに顔大きいか?」
「お母さんに比べればね」
 父の顔は、泰河よりほっそりしている。 そういえば、泰河と文哉の父親、檜蔵人もやや細面で、優雅な顔立ちをしていた。 あのきれいな顔で、純情だった初美さんを誘惑したんだ、と思うと、絵麻は不愉快になった。 そして、こんないい日にあの男のことを思い出したのを悔やんだ。


 ふたたび何もかも順調になったように思えた。 十月になると、泰河と絵麻は努力が報いられて英語教室でのランクが上がり、二人そろって中級クラスに昇格した。 今度の教師はカナダの女性と日本人の元商社マン。 女性教師のアニーは盛んに泰河の深い声に感心して、絵麻も声がきれいだと、ついでに付け加えた。
「え? もうちょっとお腹から声を出すと、もっと……ええと、レゾナント?」
 アニーの言葉をだいぶ聞き取れるようになったものの、知らない単語にぶち当たって、絵麻は首をかしげた。 すると、すぐ元商社の宮野氏が助けてくれた。
「響きがいいとか、声が深いって意味。 響きっていえば、明日のカラオケ大会に来る?」
 もう授業が終わって帰る前の雑談をしていたときだったので、日本語オーケーだった。 絵麻はすっかり忘れていたが、泰河は思い出したらしく、眉を上げて絵麻の顔を見た。
「ああ、プリント貰った、そういえば。 たしか五時から七時まで?」
「そう、ラウンジでね」
 新入生の歓迎会をかねて、今年からやることにしたらしい。 生徒数が増えてきたので、学校側を気をよくしていた。
「どうする?」
 泰河が、例の低い声で訊いてきた。 そのとき、絵麻は不意に強く、来たいと思った。 泰河が出たがっているのが、ひしひしと伝わってきたからだ。 彼は別に歌うのが好きというわけではなかったが、にぎやかなのが好きなのは確かだった。
「お母さんに聞いてみる。 たぶん、いいと言うと思うな。 暗くなっても、泰河と一緒だし」
 そう応じて、教室の隅に行って電話をかけると、母は上機嫌で許してくれた。 予定を伝えておけば、母はたいてい許可してくれる。 絵麻にはそれだけの信用があった。


 絵麻たちのレッスンは火曜と木曜で、普段の水曜日は教室へは来ない。 だからラウンジに入ると、知らない顔が半分ぐらいいたが、すぐに溶け込めた。
 カラオケ大会と言っても、レコードプレイヤーにディスクジョッキーまでいて、歌だけでなくダンスの催しにもなるらしい。 踊ったことなんかないな〜、と困りながらも、絵麻はわくわくしてきた。 泰河はきっと踊れるはずだ。 教えてもらえる……!
「あ、泰河?」
 いきなり華やかな声が耳に飛び込んできて、絵麻は顔を上げた。 すると、並んで座っている泰河の肩に、女の子が手を置いてもたれかかっているのが見えた。







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