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空の魔法
40 離れ離れで
大学の授業は一時限が九○分で、五時限まである。 選択科目が五時限にかかると夜の六時を過ぎてしまって、その曜日は英語教室に通えないので、泰河と絵麻はよく相談して時間を決め、火曜と木曜に行くことにしていた。
初めのうち、泰河はぎょっとなるほど英文法を知らなかった。 彼は背が高いので、自然と席が後ろになり、騒がしい教室で教師の声がほとんど聞き取れなかったそうだ。
「低い声の男で、こもってて何言ってるか全然わかんない。 前の奴らも平気で寝てて。 だいたい文法って日本語でもつまんないだろ?」
「そうだよね」
絵麻だって文法は嫌いだ。 英作文も嫌いで、試験前はひたすら暗記して、終わるとサラッと忘れた。だが少人数制の英語教室では、すぐ順番が回ってきて、いやでもしょっちゅうしゃべらなければならない。 二人が取ったクラスには七人いるはずだが、二人が月に二、三度休むため、六人クラスになることが多く、それだけ練習が濃くなった。
二人の教師は、アリゾナ出身の男性と高知県から来た女性だった。 どちらも二十代で、明るく冗談好き。 ノリがいいため、教室ではよく笑いが起きて、リラックスして学ぶことができた。
泰河はいつも絵麻のそばにいた。 だからあっという間にカップルだと見抜かれてしまった。 でも人前では決して絵麻に触れず、さりげなくガードしているだけの泰河を、アリゾナ出身のコリー・ガードナー教師は『ナイト』と呼ぶようになった。
繰り返しは力だ、ということを、まもなく絵麻たちは実感しはじめた。 会って行き帰りに手をつなぎ、たっぷり話したいから始めた勉強だから、まったくサボらないで続けているうちに、二人はどちらも英語に慣れ、学校での授業にも興味を持つようになった。
成績がまたアップした上に、ぜったい道草しないでちゃんと帰ってきて、クラスであったことなどをどんどん話す絵麻に、親たちも安心した。 そして、泰河とはただの友達なのだと考え、彼に対する態度も次第にやさしくなっていった。
こうして、絵麻の高校二年は順調に過ぎていった。 夏にはいつも十日ほど一家でバカンスに行く習慣で、平成二三年も上高地に別荘を借りて、三人で訪れた。
その間、泰河は教室を休み、バイトに精を出した。 そこで何が起こったのか、ずっと後まで絵麻は話してもらえなかったが、結果は、秋になってわかった。 そして、幸せ一杯だった絵麻の日常に、灰色の影を落とすことになるのだった。
美しい上高地にいる間、絵麻はなんとなく上の空で、よく泰河の夢を見た。 毎日一度は彼の声を聞く習慣ができているから、傍にいないと忘れものをしてきたような気になる。 早く家に戻って取り返したかった。 泰河のいる普通の毎日を。
泰河もそう思っていたにちがいない。 宅配で荷物を送った絵麻たちが、夕方にバッグ一つで自宅へ帰り着くと、絵麻が自分の部屋に入って、よどんだ空気を入れ替えるためにガラス戸を開いたとたん、チリンと鈴がベランダに投げ込まれた。
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