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 空の魔法 33 文哉の近況



 その二週間、泰河のがんばりはものすごかった。 今度はバイトもきっちり休んで、学校の試験は落第点にならない程度に流して、ひたすら数学に取り組んだ。 第一志望校に受かるという自信は、まだなかったが、一次だけでも通ったという嬉しさに背中を押されて、これまで苦手だった微積分を、唸りながら少しずつ頭に入れていった。


 絵麻のほうは、高校の授業に慣れて成績も上がり、楽しくなってきたところだった。 十一月に入ると二年生たちが修学旅行に出かけて、部活の先輩たちが後輩にお土産を買ってきてくれ、さらに絆が深まった。 部には女子生徒しかいないので、遠慮がなくて実に気楽だ。 気温が低くなってきたため、ガスをがんがん使って揚げ菓子が作れるようになり、絵麻は胡麻ドーナツだのシナモンパウダー使いのチュロスだのを家に持ち帰って、母の負けん気を刺激した。
「君達が太らないのが不思議だよ」
 父が覗きに来て、クッキングペーパーに広げてあったあんこドーナツをつまみながら言った。 すかさず母が言い返した。
「太らない種類の油使ってるの。 それに隣にも持ってってるし。 ぜんぶ食べちゃうわけじゃないのよ」
 口一杯ほおばった昇が、言葉を出せずに眉を上げてみせた。 隣って、まさか初美のところか? と訊いているのだ。
「そうよ。 おやつはうちが担当してるの。 ご飯は初美さんががんばって作ってるようよ。 だから敬意を表して、うちからはヘルシーなおやつだけ」
 ぐっと飲み込んでニマッと笑ってから、まず昇は菓子作りの腕前をほめた。
「相変わらずのお手前で。 うまいよこれ」
「そう? もう一個どう?」
 素子が勧める前に、昇は両手に一つずつ持って、うれしそうにソファーにめり込んだ。
「絵麻〜。 お茶くれるとうれしいんだけど」
「うわー、お父さん、下手〔したて〕〜」
 絵麻は笑って、しゃきしゃきと三人分の緑茶を入れた。
「部活では一年がお茶係なんだ。 だから慣れてきちゃった」
「なるほど、ちゃんと回し注ぎしてるな。 今の学校でもそういうの教えてくれるんだ」
「ほんとはもうちょっと冷ましたほうがいいんだけど」
「いいよいいよ、お父さん熱いぐらいが好きだ」
 昇の目尻が下がってきた。 そして三人で仲良く土曜の午後のひとときをおやつで楽しみ、くつろいだ。
「じゃ、初美は三日坊主じゃなかったのか」
 さっきの話題に戻り、素子はうなずいた。
「そうなの。 初美さん、ほんとは出好きじゃなかったみたい」
 昇は少し考えた。
「そうだな。 昔は家に友達呼んできて、静かに遊んでた。 そういえば」
「穂高さんに体よく追い出されてたのかな。 前はあの家、気持ち悪いほどきちんと片付いてたけど、今は適当に散らかってて、居心地よくなったのよ。 そうだよね、絵麻?」
 絵麻はにこにこした。 おやつを持っていくのは絵麻の役目で、初めは玄関で挨拶して去るだけだったのが、次第に中へ招き入れられるようになり、最近ではたまに素子も交えて、一時間ぐらい世間話までしていた。
「私はまだ仲良しってほどじゃないけど、絵麻は好かれてるようよ。 文哉ちゃんにもね。 絵麻が行くと、いつも出てきて恥ずかしそうに挨拶するの。 あの子ほんとにかわいいわ」
 絵麻もそう思っていた。 文哉は素直で、父親のずるさ、たくましさをまったくといっていいほど受け継いでいない。 兄の泰河が心配して、守ってやらなきゃとがんばる気持ちが、絵麻にはよくわかった。 だから初美と親しくして文哉の様子を見守るのは、泰河のためでもあった。 会いたくてもめったに会えなくなった弟の今の姿を、絵麻は泰河にできるだけ詳しく報告していた。







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