表紙

 空の魔法 32 体力と知力



 それからというもの、絵麻は泰河とバルコニーでしか会えなくなった。 だけど手を取り合って、じかに話ができるだけで幸せだ、と、絵麻は自分に言い聞かせた。 遠距離恋愛だったら、もっと辛いのだ。
 短い語り合いでわかったのは、泰河が数学を中心に勉強していることだった。
「覚えてんだよ、公式だけじゃなく、例題もせっせと」
 泰河は星を見上げながら、ぽつぽつと話した。
「数学が一番覚えることが少ないんだ。 一問できれば点がでかいし。 そう先輩に教わったんで、なるほどと思って」
「そうか〜」
 絵麻は何でもこつこつやるタイプで、だいたいすぺて平均点以上取って、クラスの上位三分の一にいた。 要領はあまりよくない。 一貫校だから入試については真剣に考えていなかった。
「そうだよね。 結局数学だって、やり方おぼえればいいわけだし」
「うん。 だから科目少ないAO入試をまずやってみようってことにした」
 絵麻はきょとんとした。 そもそもそんな入試なんて聞いたことがない。
「なに?」
「推薦みたいなもの」
 泰河は簡単に説明した。
「学科試験はあまりないんだ。 でもおれが受けてみる学校は一流で、数学の基礎テストだけはばっちりやるって」
「うん、理科系ならね、数学必要だ」
 話しているうちに、絵麻は泰河に尊敬を感じてきた。 クラスの半分が分数の足し算をできないという学校に通っているのに、自分の力でこれだけ調べて、真剣に取り組んでいる。 もともと頭はいいんだから、やる気が出た今、絶対に志望校に入ってほしい!
 その大学は、十月の半ばにもう一次テストをするのだそうだ。 泰河が必死なのは当たり前だった。
「最初に小論文あるんだって。 むかつくよな」
 確かに。 でもたぶん、意気込みを見るためのもので、文体はそれほど問題ではないと、絵麻は思った。 普通の文が書ければ、きっと大丈夫。
「論文は、真似したいと思うのを何度も、声に出して読むといいんだって。 お父さんに教わった。 お父さん挨拶苦手なのに、しょっちゅう頼まれるでしょう? だからできるだけ状況が似たのを少しずつパクるんだって」
 泰河はそれを聞いて、クックッと笑った。
「昇おじさんも苦労してんだな」


 すぐに一次試験の日が来た。 その頃には絵麻も中間試験にさしかかっていたため、二人とも短く励ましあうことしかできず、ストレスがたまった。 だが絵麻は泰河に負けないようにがんばって、普段より手ごたえのある結果となった。
 数日後にようやくゆっくり話せた泰河は、諦めの境地だった。
「なんかよくわからんかった。 たぶん、てか、九九パーだめだな」
「まだ一校目じゃん」
「試しだしな」
 泰河は少し落ち込んだ様子だったが、絵麻と話したことでまたいつもの笑顔が戻り、次の学校は十一月終わりなんだ、と告げて部屋に戻っていった。


 今度はこの前の定期試験よりさらによくできたはず、という絵麻の実感は当たった。 戻ってきた答案に父は手放しで喜び、多少手厳しい母も満足した。
「やればできる子なんじゃない、絵麻は」
「あぅ、やらなくてもできる子になりたい」
「そんな人いないから。 やってないって言う子に限って、陰の努力がすごいんだから」
「そう言われてるよね、巷〔ちまた〕では」
「巷でも猿股でもそうなんだよ」
と父がからかい、絵麻はプッと吹いた。
「なに、猿股って?」
「まあいえば、トランクスのことよ、日本式の」
「サルの股? すごい言い方」
 三人が妙なふうに盛り上がっていたとき、絵麻の携帯が鳴った。 サイドテーブルにおいていたのですぐ手を伸ばすと、かけてきたのが泰河だったから絵麻は驚いた。
「はい、絵麻です」
 堅く答えると、息切れした声が返ってきた。
「一次受かった!」
 電話を強く握りしめたまま、絵麻は立ち上がってしまった。
「よかったねっ!」
「うん、まさか二次の案内が来るなんて思ってなかったから、なんか感激した」
「今度はいつ?」
「二週間後」
「風邪引かないでね」
 ここ数日、時期はずれの寒波が来て、電車で咳をしている人が多かったのだ。 泰河は低く笑い、明るく答えた。
「おうよ、体力はまかせとけ」








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