表紙

 空の魔法 30 遅すぎない



 よっぽど嬉しかったのだろう。 文哉はめずらしく口数が多くなり、煙突や機関車、立ち木などの小さな部品を仕分けしながら、絵麻に話しかけた。
「神のこひつじ園ではね、大きな箱にレゴが入ってるの。出して使えるのは三○分でね、すぐしまっちゃうの」
 おとなしい文哉は幼稚園でも、強い子に押されてなかなか好きなレゴに触らせてもらえないのだろう。 見当がついた。 何が神のこひつじだ。 なんとなくいけにえのような響きを感じて、絵麻は文哉が行かされている高級幼稚園の名前が嫌いだった。
 今内情を聞いて、ますます嫌いになった。 時間制限して遊ばせて、それで知育になるのか?
「これはいつでも文哉ちゃんのだよ。 いっぱい遊んでね」
 文哉は小さくうなずき、プラスティックのレールをつなぎ合わせはじめた。 やっぱり男の子で、乗り物系が好きらしい。 絵麻は温かい気持ちになって立ち上がった。
「じゃね、早く元気になってね」
「はい」
 ここの居間は不自然なほど片付いていて、ぬくもりがない。 絵麻は玄関に出て、どこかホッとした。
 すると、廊下の奥から初美が出てきて、ぎこちない口調で言った。
「ありがとう。 やっぱり年が近いと、相手するのうまいわね」
 姿は見せずに、どこかから覗いていたらしい。 なぜ一緒に話さないのだろう、と絵麻がじれったい気持ちでいると、初美のほうからぼそっと言い訳した。
「私、小さいころ弱虫で、いつも兄さんにかばってもらってたから、人の面倒みるの下手なのよ。 穂高さんなら年上でしょう? だから、ちゃんとやってくれるって頼ってたんだけど」
 思わぬ告白に、絵麻はますます落ち着かない気分になった。 いつも突っ張っている印象だった初美が、本当はまるっきり自信のない性格だったなんて思いもしなかったのだ。
 そのとき、ある考えが不意にひらめいた。
「穂高さんのほうが、文哉ちゃんを任せてくれって言ったんですか?」
 初美は当惑したように激しくまばたきした。 だが、絵麻の声がやさしかったため、少しためらった後、そのとおりだと認めた。
「最初はちゃんとやろうとしたのよ、自分で。 でもいろいろ言われて、だんだん怖くなったの。 抱き方は下手だし離乳食もちゃんと作れないし、もう何やってもだめで」
 絵麻は唇を噛んだ。 どうやら穂高は蔵人としめしあわせて、実家の母親という味方のいない初美をますます自信のない独りぼっち状態に追い込み、好きなようにあやつっていたらしい。 素子が知っていたら力になれただろうが、年が近いのでお互いライバル意識がある上、まっすぐな気性の素子には初美の事情がなかなか理解できないにちがいなかった。
「穂高さんが出てってよかった」
 絵麻は心から言った。
「文哉ちゃん、もう明るくなってきてるもの。 これからは文哉ちゃん幸せだ」
「えっ?」
 信じられない言葉を聞いたという表情で、初美は足をもつれさせ、広い廊下の壁につかまった。
「だって……あなた泰河と仲良しでしょう? あの子から私の悪口聞いてるはずよ」
 ああ、それが気づまりで、いつもつんつんしていたのか──絵麻は心の眼が開いた思いで、途方に暮れた叔母を見つめた。 するとなんだか、彼女が頼りない姉のように見えてきた。
「泰河はいい人だけど、男だから。 女の気持ちがわかんないこともあるから」
 そこで絵麻は、自然と初美に笑いかけていた。
「昨日、穂高さんは病院へついていこうとしなかったんですよ。 自分のせいなのに。 でも初美おばさんはすぐ飛んでいって、一晩中付き添ってた」
「当たり前よ、親だもの」
 初美は小声で答えた。 だが絵麻はひるまなかった。
「子供はそういうの、すぐわかります。 小さいときインフルエンザで高熱が出て、お父さんとお母さんがずっとベッドの両脇で心配してた顔、今でもはっきり思い出せるんですよ。 今朝帰ってくるとき、文哉ちゃんがスキップしてたってお父さんが言ってました。 そんなのこれまで見たことなかった」
 すると初美はうつむき、少し考えていた。 それから顔を半分上げて、兄と共通の長く濃い睫毛を伏せたまま、低く言った。
「まだ間に合うかな。 今なら」







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