表紙

 空の魔法 28 母より兄が



「電話貸して」
 昇の声がした。 絵麻はあまり渡したくなかったが、父の心配もよくわかるので、泰河に告げてから携帯を父の手のひらに置いた。
「今お父さんと代わるから」
 ミルキーブルーの絵麻の携帯を耳に当てた昇は、短く質問してからうなずいていた。
「熱は? 診察費は間に合うか? 君がついててやったほうがいいんじゃないか?  え? 初美が来たって?」
 昇まで驚いていた。 妹ながら、昇は初美をまるで信用していない口調だった。
 泰河の受け答えが満足できるものだったらしく、昇は少し温かい声音になって、泰河を力づけた。
「よくやったよ。 間に合ってよかったじゃないか。 もう帰ってきて大丈夫だよ。 初美は頼りないが、珍しく自分から来たんだから、放り出して帰りはしないだろう」
 お父さん優しい──絵麻は嬉しくなって、笑顔で携帯を受け取った。
「がんばったね。 おなか空いたでしょう?」
「うん、ラーメン食って帰る。 後でゆっくり話そうな」
「そうね。 じゃ」
 絵麻が電話を下ろすところを、両親がじっと見ていた。 そして絵麻が顔を上げたとたん、さっと視線をそらした。
「え? なに?」
 絵麻が尋ねると、素子はあいまいな笑みを浮かべて、ぽつりと言った。
「なんか、大人になったな〜と思って」
 絵麻は瞬きした。 こんなことを言われたのは初めてだった。
「えぇと、まだ十六だけど?」
「戦国の世なら適齢期だな」
「やめてよ、お父さん。 昔は寿命が短かったから、早く結婚しないと間に合わなかったの」
「確かに生き急ぐことはないよなあ」
 昇はくぐもった声で言い、ソファーの上で急に伸びをした。
「風呂に入ってくるわ。 夕食は大丈夫? 冷めたりしないか?」
「すぐあっためなおせるから、ゆっくり入ってきて。 今日は大変だったね。 帰ってきてすぐ、この騒ぎで」
 昇は勢いをつけてソファーから立ち上がり、歩いていく途中で素子の肩を軽く握っていった。 以心伝心という言葉があるが、二人には娘の絵麻から見ても特別な何かが通い合っていた。 ふしぎなほどの仲のよさで、絵麻は小さいときから両親が自慢だった。


 夕食の後、絵麻は宿題をすると言って自分の部屋に入り、隣の物音に聞き耳を立てていた。 すると九時少し過ぎに柵のあたりで、チリンという小さな音が響いた。 前に絵麻が投げた鈴を、泰河がそっと放り込んできたのだ。
 帰ってきた! 絵麻はできるだけ音を立てずにガラス戸を開いて、ベランダにすべり出た。 すると柵の向こうにすらりとした姿が寄りかかっているのが見えた。
「泰河」
「シッ」
 急いで絵麻は囁き声に変えた。
「用心してる?」
「昇おじさん帰ってきてるから」
「うん。 最近いつも早いよ」
 そう答えて、絵麻はいっそう柵の近くにすり寄った。
「手つなごう」
 二人の指がからまった。 いつものように、しっくりと。
「文哉くん、元気になった?」
「だいぶ。 でも、おれが帰るって言ったら泣きそうになった」
「かわいそうに」
 絵麻はしんみりした。
「はっきり言っちゃうけど、お母さんよりお兄さんのほうがいいんだね」
 泰河の指に力が入った。
「でも、それ見て初美さん、ショック受けてた。 やっと反省したみたいだ」
「そうなの?」
 返事は穏やかだったけれど、絵麻は内心、初美のことをちっとも信用していなかった。 気まぐれで態度を変えたって、情のなさは変わるものじゃない。 そう思えた。







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