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 空の魔法 27 息子と母と



 すぐに文哉が泰河に抱きかかえられて出てきた。 もともとほっそりした子がさらに痩せて、軽々と運ばれている。 泰河は救急隊員に弟を渡そうとしたが、ぐったりと寄りかかっていた文哉が急に動いて細い両手でしがみついたので、そのままエレベーターに乗った。 穂高は彼らに背を向けるようにして、携帯でぼそぼそと話していた。 そして、病院についていく気配も見せなかった。
 腹が立ったので、絵麻は挨拶せずに家へ戻った。 すると玄関の前に母が出てきていて、不安そうに見ていた。
「救急車、初美さんとこだったの?」
 絵麻はうなずき、母を戸口から押し込むようにして入れて、中に入りながら説明した。
 予想したとおり、素子は絵麻以上に怒った。
「あんな小さな子が具合悪かったのに、半日も放っておいたの? 信じられない! 穂高さんって責任感なさすぎ!」
 絵麻も心からそう思った。 幼児は体が小さいだけに、病状が悪化しやすいと聞いた。 どこか痛そうだったら、すぐ医者に診せるべきなのだ。
 その点、泰河はしっかりしていた。 二人がやきもきしていると、三十分もしないうちに絵麻の携帯へ電話がかかってきた。 絵麻は喜んで母の隣に座り込み、文哉の様子を詳しく聞いた。
「病院はすぐ見つかったし、すぐ診察してもらえた。 運が良かった。 食中毒だったんだ。 今検査してるけど、たぶんカンピロバクター菌だろうって」
「カンピロバクター?」
 あまり聞いたことのない名前だった。 ノロウィルスやサルモネラなら知っているが。
「鶏肉食べてなるのが多いらしい。 よく煮てないやつ。 ここ数日で何食べたかって聞かれたけど、答えられなかった。 やっぱ一緒に住んでないと、わかんないよな」
 泰河の声は悲痛だった。 責任を感じているのだ。 彼は追い出されたのに。 誰より罪のない立場なのに! 絵麻は何とか彼をなぐさめようとした。
「泰河が隣にいたからよかったんだよ。 穂高さんだけだったら、今でもお医者に連れていかなかったかも」
「うん……ともかく手当てして、少し元気になったからよかった。 もうそんなに腹痛くないって」
 絵麻が母に指を丸くしてOKサインを出すと、素子もほっとして微笑んだ。


 普段のように八時前に、昇が元気に帰ってきた。 変な言い方だが、最近ようやく一般の社長らしく重役出勤で、早い帰宅というぜいたくができるようになっていた。 自宅が大好きな昇にとって、今の状態は天国らしい。 妻と酒を飲み交わして娘としゃべって、夜は好きな切り絵をしたり、戦国時代の歴史を研究して過ごす。 そういう毎日が、接待ゴルフや飲み会より好きなのは確かだった。
 そんな彼も、さすがに文哉の食中毒を聞いてあきれかえった。
「あそこはいったいどうなってるんだ。 初美に言ってやらなきゃいかんな。 あれでも昔はけっこう子供好きだったんだがな。 中学のときは幼稚園の先生になりたいと言ってたんだ」
「ともかく、穂高さんはだめよ」
 素子がきっぱりと言った。
「衣食住の世話ができないヘルパーさんなんて、聞いたことがないわ」
「病院どこだって? 電話入れてみる」
 着換えもそこそこに昇が電話を手に取ったとき、絵麻の携帯にまた泰河から着信が来た。
「泰河?」
「これから帰る。 文哉は一晩入院するけど、初美さんが来たから」
「ええっ?」
 驚く場合ではないが、絵麻は本当にびっくりした。







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