表紙

 空の魔法 26 親がいない



「あれ? 穂高さんだ」
 泰河が意外そうに囁いた。 文哉のシッターをしている穂高ミキは、蔵人の妹だったらしい。 兄のような怠け者ではないにしても、ぼんやりした集中力のとぼしい人だ。 甥の文哉をかわいがっている様子はなく、機械的に世話をするだけで、初美の指示がないと、ときどきおやつを出すのも忘れた。
「おれに何の用だ?」
 しぶしぶ絵麻を離して、泰河は建物を回っていった。 絵麻が柵にもたれたまま風に吹かれていると、その風に乗って二人の会話がはっきりと流れてきた。
「文哉ちゃんの様子が変なんです。 お昼もおやつも食べなくて、いつも以上におとなしいの」
「わかった」
 すぐ、泰河のサンダルが階段を駆け下りていくバタバタという音が聞こえ、後から穂高が追っていく引きずるような足音が遠くなっていった。


 少し時間を置いて、絵麻も屋上から降りた。 父の昇が二台も監視カメラを設置したため、一族がラウンジと呼んでいるエレベーターから屋上階段までの広い通路は、ほとんど撮影範囲に入っている。 ただ、自分の出入りが写るのは嫌だったらしく、絵麻の住居の前は死角になっていて、彼女の屋上への上り下りはカメラの目を逃れていた。
 家に戻って、夕食の支度を手伝っていたとき、開いていたキッチンの窓からの音に、母が気づいた。
「救急車が下に停まったわ」
 絵麻はドキッとした。
「このビルの?」
「そうみたい」
 カーブになったバルコニーの横に身を乗り出して、素子は確認した。
「確かにここよ」
 絵麻はすぐ、鍋つかみを放り出して玄関に走った。
 ドアを開けると、檜〔ひのき〕家の玄関扉が開いていて、穂高がしょんぼり立っていた。 絵麻は彼女のそばに駆け寄り、小声で尋ねた。
「何かあったんですか?」
 穂高は泣きそうになって、短く囁き返した。
「文哉ちゃんが動けないんです。 エビみたいになって」
 丸まっているということなのか? 絵麻は頼りない穂高を揺すぶってやりたくなったが、代わりに尋ねた。
「初美おばさんは?」
「さあ」
 ぼうっとした口調で答えた後、穂高はあわてて言いなおした。
「えぇと、お出かけです。 今日は、と……」
 着ているスモックとエプロンの中間のような上着のポケットに手を入れて、花模様の手帳を取り出した。 いちおう初美の外出予定をメモしているらしい。
「奥様は、水曜の午後はいつもジュエリーの内覧会においでです。 その後はお友達とディナーに行かれて」
 宝石なんか買いまくって! 絵麻の眼が怒りに燃えた。
「おばさんと連絡取れます? 保護者なんだから、文哉ちゃんが重症なら責任取らされるかも。 幼児虐待とかで」
 穂高は震えあがった。 留守を任されているのは彼女だ。 告訴されたら誰よりも責められるのは穂高自身だ!
「すぐ電話かけます!」
 そう言って、穂高がポケットから携帯を出したとき、ロックを外してあったエレベーターが上がってきた。 救急隊員が来てくれたようだ。







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