表紙

 空の魔法 25 二人の時間



 やがて新学期が始まり、最上階の子供たちはみんな学校や幼稚園へ通い出した。 驚いたことに、泰河はアルバイトを止めなかった。 遅めの受験勉強も始めたので、ますます絵麻と逢える時間が減り、ふたりともストレスがたまった。
 部屋が隣り合わせでなかったら、どっちかが爆発したかもしれない。 ほぼ毎晩、夕食の後にベランダで話せる短いひとときが、ふたりを支えていた。 そしてたまには、こっそり相談して屋上で逢った。
 週に一度がせいぜいだった。 それでも肩を並べて庭園の手入れをし、他のビルから見られない木陰でもたれあってキスするのは、夢のように楽しかった。
 泰河は、よく絵麻の髪を撫でた。 手で握っていたり、愛しそうに指を通したりするので、絵麻は髪を結ばないようにしていた。 たくさん持っているシュシュやバレッタは、チェストの引き出しにしまいこんだままになっていた。


 九月も末になると、夕方は過ごしやすい気温になる。 よく晴れて、やや風の強い日、ふたりは屋上の裏手に回り、二重に囲むフェンスの内側に並んで寄りかかって気持ちよく涼みながら、泰河の進学について話していた。
「ボロい大学ならすぐ入れる。 はっきり言って寄付金出せば一流半でもOKらしい。 いまさら一流は無理だし、実力で目指すなら二流の上ってとこかな」
 もったいない。 口には出さないが、絵麻は内心怒っていた。 不謹慎でも、蔵人がもう一年早く事故死してくれていればとさえ思った。 そうしたら泰河は充分進学準備ができたはずだった。
「いい企業には入れないね」
「まあ無理だろう。 でも優良中小企業なら、まじめに働けば技術の腕がつくかもしれない」
「大変そうだけどね」
 泰河はフッと笑い、いつものように絵麻のさらさらした髪を撫でた。
「どこでも大変さ。 いろんなところで働いて、そう思う」
 絵麻は、眼と同じぐらいの高さにある泰河の左肩に両手をかけ、額を押しあてて瞼を閉じた。
「その会社、どこにあってもついていく」
 泰河は息を吸い込むと、左腕で絵麻の胴を抱き寄せ、頭に顔を埋めた。
「貧乏リーマンの嫁さんでもいいか?」
 絵麻はくぐもった声で言い返した。
「貧乏じゃないじゃん」
 泰河は笑いの混じった声でさとした。
「一億あっても手つけたらあっという間だぞ。 だから貯金しとくんだ。 初任給なんかさ、大都市で十八万ぐらいで、地方に行くと十五万とかで」
「それだけ物価も安いって聞いたよ」
 絵麻も負けていなかった。
「私、ぜいたくじゃないし」
「それはほんとだな」
 泰河は今更驚いたように言った。
「素子おばさんの育て方がよかったんだな。 ジュンって友達の彼女、ふつーのブティックで働いてるのに、デートは高級なとこばっかり行きたがるんだって」
 絵麻はなんかわくわくした。 泰河が友達の話をしてくれたのは、これが初めてだった。
「ふーん。 高級でなくてもおいしい店、あるのにね」
「ムードがほしいらしい。 まあ、気持ちはわかるけど」
 話しながら、ふたりの顔が近づいた。 まさにいいムードになりかけたとき、屋上へ上がるドアが独特の音を立てて開くのが聞こえた。
 ふたりはハッとして体を離した。 今いるのは上り階段と用具室のある建物の裏で、ドアとは反対側だ。 だからすぐ姿を見られることはないが、もし昇が早く帰宅して上がってきたのなら、ふたりでいるだけでまずかった。
 だが、すぐ違うとわかった。 おろおろした女の声が聞こえたからだ。
「泰河くん! 泰河くん、います?」
 







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