表紙

 空の魔法 23 事故と判断



 東京からの観光客が遺体で発見されたというニュースが、翌日短く流れた。 評判にかかわるから地元は事件として騒いでほしくなかったし、事件性があるという証拠も見つからなかった。
 夜遅く帰ってきた昇は疲れていて不機嫌だったが、十一時過ぎまで心配して待っていた妻と子には優しい表情を見せた。
「蔵人くんは一人でホテルにやってきて、チェックインしたんだそうだ。 旅慣れてる感じだったらしい」
「泊まったホテルがわかったの?」
 素子が息をひそめるようにして尋ねた。
「ああ。 『ホテルさざなみ』っていう高級ホテルだ。 三日間彼の帰りを待って部屋を取っておいてくれたということで、宿泊費と礼を払ってきた」
「いなくなった後、ホテルから問い合わせはしなかった?」
「うん。 消えたのがたまたま初日でね、部屋はきれいなままだったし、身の回り品も大したもの入ってなくて。 旅行慣れてるからね」
 そこでチラッと娘のほうを見やると、昇は苦笑いを浮かべた。
「きれいな子のいるバーはないかって訊いてたらしいんだ。 だから気が変わって、女とどこかへ行ったんじゃないかとホテル側は思っていたようだ。 ときどきいるんだって、そういうの」
「でもまあ、本名で泊まっただけ、蔵人さんもまともだったのね」
「偽名は書かないだろう。 女連れじゃなかったんだし」
「何があったのかな?」
 それまで黙っていた絵麻が、我慢できなくなって訊いた。 昇は首をかしげて、妻と顔を見合わせた。
「さあな。 どこかで飲んで、景色を見に行ったんじゃないか? 携帯に近くの写真が何枚かあったそうだ」
「あの人ならもっと派手に遊ぶのかと思った」
 素子が不満そうに言うので、昇は笑い出した。
「まだ昼間だったんだぜ。 きっと夜になるまでの時間つぶしをしてたんだろう」
「お財布とか、全部残ってたのね?」
「そうだ。 ウェストバッグがこう、骨の周りに……」
 二人の女性が同時に顔をしかめたため、昇は話を変えた。
「明らかに強盗じゃないし、誰かと待ち合わせた様子もない。 自殺は絶対にないと警察に話しておいた。 怨恨は……外で何してたか知らないが、幸い麻薬とギャンブルには縁のない男だったから、暴力団がらみはないだろうとも」
 昇の言葉を、警察は信じてくれたらしかった。 蔵人が居酒屋で陽気に飲んでいたという証言もあり、酔った上での事故死という結論が出るまでには、そう長くかからなかった。


 蔵人が死んで発見された翌日の夜、絵麻は自分の部屋のベランダに出た。 そして持ってきた小さな鈴を、泰河が今、すみかにしている隣のバルコニーにできるだけ深く放り込んだ。
 チャリンという澄んだ音が響いて数秒後、引き戸が開く音がして、泰河がサンダル履きでのっそりと出てきた。
「さっき帰ってきたの、上から見てた」
 絵麻が両家をへだてる柵に顔を押し付けるようにして囁くと、泰河は絵麻の鼻に軽く触れて、疲れた声で囁き返した。
「親父、半分白骨化してた。 おじさんが代わりに遺体確認に行ってやるって言ったけど、おれ自分で行くと言ったんだ」
 たまらなくなって、絵麻は柵越しに手を伸ばして泰河の腕をさすった。 引き締まった腕はかすかに震えていた。
「結局、親父は何をしたかったんかなぁ。 あんまり友達いなかったみたいだし。 一人であちこち遊び歩いて、それだけで本当に楽しかったのか?」
「わかんない」
 絵麻は正直に答えた。
「わかんないけど、泰河はずっと家族だよ。 お祖父ちゃん家に泊まっててくれって、お父さんが言ってた。 ここから大学まで通うようにって」
 そのことを一刻も早く知らせたくて、絵麻は今日、ずっと彼の帰りを見張っていたのだ。 泰河は自分の腕をつかんでいる絵麻の手に触れ、上から覆うように握った。
「サンキュ。 いちおう受験はするけど、大学入っても通えないだろうなと思ってたんだ」
 前に一度聞いた蔵人の脅しを思い出して、絵麻は怒りがこみ上げた。
「もうさっさと稼げなんていう人はいないんだし、初美おばさんが学費出すって言い張ってるって。 驚き!」
 薄暗がりで、泰河が低く笑うのが聞こえた。
「なんで?」
「だって、前に泰河に他所で下宿しろってせまってたじゃない?」
「あのときでも、費用は出すと言ってたよ。 あの人はケチじゃないんだ」
「親切でもないけどね」
 絵麻は溜息と共に囁いた。







表紙 目次 文頭 前頁 次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送