表紙

 空の魔法 15 思いつきで



 だが、絵麻がほんわりした気分で自宅のあるビルへ戻り、エレベーターから降り立ったとき、通路では激しい罵りあいがくりひろげられていた。 初美と泰河が観葉植物の植え込みのすぐ横で、珍しく声を荒げて喧嘩していたのだ。
「だからおれは出ていかないって言ってるだろう? 生活費なんて要らねーよ。 おれは文哉の兄貴で、あいつの面倒みる責任があるんだ」
「大きなこと言って! あなた自身まだ未成年でしょう? それに親は私なんだから、私が……」
「昨日も迎えに行くの忘れたじゃないか!」
「あれは穂高さんがいけないのよ! ちゃんと電話で頼んだのに」
「そんなの聞いてないって言ってたぞ」
「あの……友達の山上〔やまがみ〕さんに頼んだのよ。 電話してって。 彼女が忘れたのかも」
「なんで友達なんかに頼むんだよ! 電話ぐらい自分で……」
 二人とも興奮していて、絵麻に気づかなかった。 だが二人の傍を通らないと家に帰れない。 覚悟を決めて、絵麻は大股で歩き出し、足音に気づいて黙り込んだ二人に、明るく挨拶した。
「こんにちは〜。 どうしたの?」
 泰河は肩で息をしながら、大きく張り出した嵌め殺しの窓に目をやった。 初美のほうは興奮で唇を震わせていたが、なんとか笑顔を作った。
「ううん、何でもないの。 ちょっと意見が食い違って」
 今の言い合いは、意見の食い違いなんていう生やさしい雰囲気ではなかった。 それに絵麻は、最初に聞こえた泰河の言葉が気になって、思わず責めるような口調になった。
「叔母さん泰河を追い出そうとしてる?」
 すぐ初美の作り笑顔が消えた。 こわいほど硬い表情になると、初美は厳しく言い返した。
「あなたに関係ないでしょ? うちの話なんだから」
 やっぱり追い出すつもりなんだ! 蔵人おじさんも止めてくれないんだろうな。 あの人、自分のことばっかりだし、泰河をいやいや引き取ったみたいだから──絵麻は頭に血が上ったが、そのとき不意に一つの考えがひらめいて、とっさに口走った。
「待って! 出ていく必要ない。 お祖父ちゃんの住まいが空いてるじゃない?」


 泰河が稲妻のような速さで振り向いた。 初美もあわてて顔を上げた勢いでよろめき、横にあったゴムの木を掴んで体を支えた。
「なんですって?」
「だって、かまわないでしょう? 大きな部屋が六つもあるし、人に貸すことなんてないんだし、全部物置みたいにしちゃうのはもったいないわよ」
 祖父が好きなように設計して楽しく暮らしていた住まいは、絵麻たちの住居と初美たちの家の真ん中にあり、最上階の面積のほぼ半分を占めていた。 客好きだった祖父らしく、巨大な六部屋のうち二部屋が客室で、どちらも一軒の家といえるほど大きく、水周りから何からすべて揃っていた。 しかもツインベッド付きだ。
 初美は目をぎゅっと閉じて額に手を当てた。 絵麻が余計なことを言い出してくれたと思っている様子が、ありありとわかる。 だが泰河は最初の驚きからさめると、背筋を伸ばしてぽつんと呟いた。
「それ、ありかもな」
「やめてよ……。 頭が痛くなってきたわ」
 初美は観葉植物から離れて歩き出した。 そして、自宅の玄関から滑り込むと、泰河を待つ様子などまったく見せず、すぐドアを閉めてしまった。
 絵麻はやるせない気持ちで、泰河を見上げた。
「ますますうまく行ってないね」
 かすかにうなずいた後、泰河は目を上げて絵麻をまともに見つめた。 その眼は、これまで見たことのない奇妙な輝きを放っていた。
「昇おじさんに頼んでみるわ、おれ」
「部屋のこと?」
「うん。 絵麻に言われて気づいた。 あそこの客間ならいいよな。 何でもそろってるから、服持ってくだけでいいし、鍵もかかるし」
「電気も止めてないしね。 きっとテレビとかもまだ使えるよ。 型は古いけど」
 絵麻は何だかわくわくしてきた。







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