表紙

 空の魔法 14 仲良し兄弟



 一メートルぐらいしか離れていないのに黙って遠ざかるのは失礼な気がして、絵麻は二人に軽く会釈して通り過ぎようとした。
 そのとき、二人の青年のうち背が高いほうが、不意に目を見張って声をかけてきた。
「夏瀬さん? 夏瀬絵麻さんじゃない?」


 うわー。
 絵麻は危うくしかめっ面になるところだった。 こんなところで知り合いに見つかるなんて。 といっても絵麻のほうは相手の顔にまったく見覚えがないのだが。
 仕方なく振り向くと、二十代半ばぐらいの若者がにこにこして見つめ返した。
「こんちは、と言っても覚えてないだろうな。 山瀧〔やまたき〕のことは覚えてる?」
 絵麻の目が丸くなった。 もちろん覚えている。 小学校高学年のとき中学受験のために母がつけた家教(=家庭教師)の先生で、東工大生だった。
「はい」
 少し用心しながら答えると、若者の笑顔が広がり、目が糸のように細くなった。
「一度だけ会ったことがあるんだけど。 ナツセ・ビルの『さぶろく』で山瀧とメシ食ってるときに」
 まだ四、五年前のことだ。 絵麻はぼんやり思い出した。
「ああ、たしか三人で」
「よく覚えてるなぁ」
 男は嬉しそうに声を上げた。
 彼が話しかけている間、一緒にいたもう一人の若者は、おとなしく立ったままでいた。 絵麻がチラッと見ると、山瀧先生の友人らしい男より年下に見える。 たぶん泰河ぐらいの年だろう。
「あのときは柳原っていうのと一緒にいたんだ。 ボート部の練習帰りで」
 懐かしがっていた彼は、やっと絵麻を引き止めているのに気が付いた。
「あ、ごめん。 夏瀬さんには直接関係ないよね、柳原のこととか」
 そのとき、隣で立っていた少年がぽつりと言った。
「僕たちは須藤〔すどう〕。怪しい者じゃないから」
「あ、そうだ。 名前言うの忘れてた」
 山瀧の友人は気の毒なほど慌て出し、絵麻は笑いそうになるのをこらえた。


 二人は兄弟だった。 その日は弟の永〔ひさし〕の誕生日で、晩御飯をおごる約束で近くまで来たのだが、目当てのカフェがなんと定休日だったという。
「ふつう調べるよね。 来てから閉まってるのがわかるって」
 永が文句を言うと、兄の匠〔たくみ〕はすがるように絵麻を見た。
「それで悪いんだけど、ステーキがうまい店って知ってる? できればこの辺で?」
 ああ、それで困っていて、話しかけてきたんだ──絵麻は笑顔になった。
「それなら」
 前から家族の記念日や接待で父がよく使うレストランを教え、ちょっとわかりにくいところにある店まで案内した。
「ここのサーロインステーキはおいしいですよ。 スタッフみんな親切だし。 あ、和風のおろしステーキもおいしかったです」
 こじんまりした家庭的な店構えを眺めて、須藤匠は心からホッとした様子だった。
「わあ、ありがとう! これで公約違反にならずにすむわ」
「ほんとサンキュ」
 永も兄に続いて礼を言い、初めて微笑を浮かべた。 すると、口元が形よく上がって、魅力的な表情になった。
 二人と気持ちよく別れた後、絵麻はずいぶん気分が治っているのに気づいた。 弟の誕生日にステーキをおごるなんて、いい兄ちゃんだ。 泰河と同じように弟と仲がいいし。
 泰河のことを想うと、胸がきゅっと引きつった。 初めてのキスを、絵麻は何度も思い出していた。 学校で授業を受けていて、退屈だといつも彼の姿が浮かぶ。 ぼうっとしていると、遅すぎた五月病だとからかわれたが、絵麻が五月病になるはずはなかった。 中学からの持ち上がりで、同級生の七割が顔見知りだったからだ。







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