表紙

 空の魔法 16 父の承諾は



 その夜、八時過ぎに帰ってきた父の昇〔しょう〕は、食事中に絵麻から初美と泰河の口論のことを聞いて、不愉快そうな顔になった。
「まったく、あいつらは」
「それでね」
 絵麻は母が心配そうにしているのに構わず、早口で最後まで言ってしまおうとした。
「考えたの。 お祖父ちゃんの住まいがそっくりそのまま残ってるでしょう? 立派な客間が二つもあるし。 だから泰河に一つ貸してくれないかな」
 好物の鮭の南蛮漬けを運んでいた父の口が、あんぐりと開いた。
「なんだって?」
 父の驚きようは不安になるほどだった。 初美おばさんの反応と同じだ。 切り出し方がまずかったかもしれないと気づき、絵麻は必死になった。
「おねがい! 泰河は部屋汚したりしないし、友達なんかも連れてこないから。 そう約束してもらうから、ただで泊めてあげて。 お祖父ちゃん怒らないから」
 最後の一言で、ふっと緊張がほぐれた。 父は苦笑いしながら、小松菜のお新香に箸を伸ばした。
「そりゃそうだ。 親父はもう文句言える立場じゃない。 ただ、泰河に訊いてみないと」
 え?
 この答えは意外だった。 家賃・光熱費すべて無料で、ホテル並みの設備がそろった部屋に住めるのだ。 ふつう断ったりしないだろう。
 でも希望が見えてきたので、他の小さいことはどうでもよくなった。 絵麻は最後の仕上げにかかった。
「泰河は喜んでた。 後でお父さんに頼んでみるって」
 少しの間、昇は黙っていた。 自然、食卓は静かになり、沈黙は母の素子がサイドテーブルを引き寄せて、バリスタで食後のコーヒーの準備を始めるまで続いた。
 テーブルについた小さな車輪がカタカタいう音で、昇は目が覚めたように顔を上げた。
「今夜はカプチーノ頼む」
「オッケー」
「私が牛乳出してくる」
 絵麻はいそいそと立ち上がって冷蔵庫へ行った。 サービスすれば父の機嫌がよくなるかもしれない。
 その読みは当たったようで、まったりしたカプチーノを飲み終わるころ、昇の顔はずいぶん穏やかになっていた。
「確かに、ただ空き部屋にしといても、埃がたまるだけだからな。 泰河なら『欧州』のほうが気に入るだろう」
 絵麻はたちまち笑顔になった。 父のいう『欧州』とはヨーロッパ風のしつらえにした客間のことで、もう一部屋は日本趣味の外国人向けに和風設計で、『大和』と呼ばれていた。
 素子はラテのカップを手に持ったまま、冗談めかして言った。
「ほんとに大丈夫? 泰河くんモテるんだってよ。 家にいるとしょっちゅう携帯がかかってきて、女の子からも多いらしいって初美さんが」
 なんだって?
 絵麻はムッとなった。 私にはバイトで困るからかけるな、と言っといて、他の子からの電話は受けるのか?
「愛想ないらしいけどね。 誰かを着信拒否して、しつこいからかからないようにしたって文哉くんに話してたそうよ。 でもモテるってことは、いつか好きな子ができて部屋に連れてきちゃうかも」
「別にいいさ。 自己責任だ」
と、昇が驚くような答えを返した。
「誰か連れてきたらカメラに映る。 彼もわかってるんだから、バカはしないだろう」







表紙 目次 文頭 前頁 次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送