表紙

 空の魔法 5 悲鳴の元は



 時間にしたら、二秒ちょっとぐらいだったろう。 だが悲鳴というものはあまりにも印象が強く、まるで消防車のサイレンのように数十秒間続いたような気がした。
 その間、屋上の二人は凍りついていた。 のどかな園芸風景とはあまりにも違う異世界の叫びに、すぐには反応できなかった。
 やがて絵麻が、おろおろ声で尋ねた。
「……なに、今の?」
 とたんに泰河は自分を取り戻し、はじかれたように辺りを見回した。
「どこから聞こえた?」
 絵麻は首を振った。 よくわからない。 叫び声の大きさから考えると、距離は近そうだった。 泰河の顔が次第にけわしくなった。 形のいい眉をしかめると、彼は唸るようにつぶやいた。
「まさか文哉じゃないよな」
 絵麻はぞっとした。 最上階に住んでいると、子供がバルコニーから落ちるかもしれないというのが一番の悪夢だ。 あわてて先ほどの悲鳴を、嫌々ながら改めて思い起こした。
「ちがうよ。 落ちてった声じゃないもの。 そしたらだんだん下に下がっていくはずでしょう?」
「そうだな」
 泰河は少し安心した表情になったが、それでもそわそわし出して、手にしていた如雨露〔じょうろ〕を通路に置いた。
「でもなんか心配だから、見てくるわ」
「わかった」
 できれば絵麻もついていきたかった。 しかし叔母の初美のことを考えると、足が止まった。 初美は夫の留守に遊び歩いてばかりいるくせに、家に客が来るのを極端に嫌った。 それがたとえ、隣に住む親戚の娘でも。
 泰河が身をひるがえして走っていった後、絵麻は園芸用具を片付けて手を洗い、階段を下りて扉を閉めた。 そこは通路というよりロビーに近い広々した空間で、窓辺にはモンステラとベンジャミンを植えた人口大理石の円形花壇が存在感を見せつけていた。
 向かって左のドアを開けて家に入ると、母がリビングから顔を出して、心配そうに言った。
「今、変な声聞こえなかった?」
 スニーカーを脱ぎながら、絵麻はすぐ応じた。

「聞こえた〜。 気持ち悪い声」
「うち防音ガラスだから、外の物音はあんまり響かないんだけどね」
 素子は不思議そうだった。 母の言葉を聞いて、絵麻は改めて隣の家へ駆けつけたくなった。 屋上とこの家ではっきり聞こえたとすれば、発生源は通路か、泰河の家しかない!
 そのとき、玄関脇にすえつけたファックスつき電話が、ヒュルヒュルと鳴った。 傍にいた絵麻がすぐ取ると、相手は下の階の吉田と名乗り、お宅の皆さん無事ですか? と、いきなり訊いてきた。
「はい、いつも通りです」
「そうですか、よかった。 ものすごい悲鳴が聞こえたから、強盗でも入ったのかと思って」
 やはり下の階では、上から悲鳴が降りてきたのだ。 絵麻はいても立ってもいられなくなって、受話器をかけるなりサンダルを突っかけて隣に行こうとした。
 その腕を、奥から出てきた母が掴んだ。 顔が青ざめ、目が不安で光っていた。
「だめ!」
「え?」
「行っちゃだめ! 女の子一人で出て行くなんてとんでもない! 五年ちょっと前の世田谷の一家殺人事件、覚えてるでしょう?」







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