表紙

春雷 91


 そうやの祖父、田上浩次〔たのうえ こうじ〕が病院に現れたのは、事件の翌々日の夜だった。 彼は小柄で痩せていて、孫とはほとんど似ていないが、哀愁を帯びた眼つきだけが共通していた。
 デンマークから急ぎの飛行機で戻って、浩次社長が二人のいる病室に入ってきたとき、三咲は見舞いの花を取り替えようとしていた。
 グラジオラスの花束を抱えて振り向いた三咲と目が合った時、浩次の第一声はこれだった。
「お、部屋を間違ったかな」
 上半身を起こして楽な姿勢を取っていたそうやは、その言葉に笑い出した。
「俺ここにいるよ、ほら。 それに、携帯だとあんなもんだよ。 海辺で暗かったし」
 は? 三咲は挨拶も忘れて立ちすくんだ。 顔がみるみる赤くなった。 どうやらそうやは、再会して日本海を見に行ったあの夜の画像を、祖父に見せていたらしい。
 白髪交じりだが、浩次はまだ若々しい足取りでパネルの横を回ってきた。
「思ったより元気そうだな。 声がしっかりしている」
「骨折二箇所だけだから。 三咲がとっさに引き戻してくれたから助かったんだ。 そのせいで、彼女も中指を折ったんだよ」
 その言葉には答えずに、浩次はまた三咲に視線を移した。 そして、やや冷たい声で尋ねた。
「山西三咲さん、だね?」
「はい」
 三咲は懸命に、相手の強い目に圧倒されないようにしながら答えた。
「犯人の大倉久士という男は、あなたのストーカーだったわけだね」
 三咲は唇を噛んだ。
「そうだと思います。 知らなかったんですが。 つまり、そうや……創さんが知らせないようにしてくれていて」
 じっと三咲を観察していた浩次の視線が、ふっと和んだ。
「こいつの一風変わった性格は母親似でね。 やっと取り戻せたが、また家出しそうで気が気じゃなかった。
 あんたの傍なら落ち着いて暮らしてくれるだろう。 よろしく頼みますよ。 もう邪魔者はいないんだから」
「あの……はい」
 感極まって、三咲は深々と頭を下げた。


 一ヵ月後、そうやは無事退院した。 移り変わりの激しい世間では、事件はとっくに記憶から薄れ、話題にも上らなくなっていた。




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