表紙

春雷 90


 翌朝、三咲は勤務先に電話を入れ、午前中休む許可を貰った。 店でもニュースは大変な話題になっていたようで、すぐに認めてもらえた。

 電車に乗って病院に行くと、心底嬉しい知らせが待っていた。 そうやは無事麻酔から覚め、意識がしっかりしてきたという。 少しの時間なら面会してもいいと言われて、三咲は彼の元に飛んでいった。
 ベージュの引き戸は、音もなくすっと開いた。 布製のパネルで視界が遮られていて、奥は見えない。 脚を頼りなく震わせながら、三咲は病室に足を踏み入れ、扉を閉めた。
 オシロスコープなどの機器類がずらりと並んだパネルを背にしたベッドに、そうやは横たわっていた。 点滴を装着されたその姿は、第一印象では顔が蝋細工のように青ざめて見えて、三咲は貧血を起こしそうになった。
 だが、遠慮がちな足音にすぐ反応して薄く目を開けたとたん、そうやの肌にぱっと赤味が差した。 小さな声が呼んだ。
「みさき」
 とたんに三咲の全身に力が戻った。
――そうや、そうや!――
 声にならない叫びを上げながら、三咲は瞬く間にベッドに向かい、床に膝をついて彼の手を握りしめた。

「中指、怪我した?」
「こんなの、そうやに比べればかすり傷だよ」
「そのおかげで俺、助かったんだ」
「え?」
 三咲は涙眼を上げて、大きく見張った。
「みさきがぐっと引っ張ったから、体が半分回って、大倉が前に押し出された。 あいつが俺のエアバッグ代わりになったんだよ」
「でも……でもね、私のせいで、そうやはこんな目に……」
「違うって!」
 じれったそうに体を起こそうとして、そうやは顔をしかめた。
「いて」
「動いちゃ駄目!」
「はーい」
 だんだん声に張りが出てきた。 そうやは、動くほうの右手をそっと咲の手から抜き、涙に濡れた頬を撫でた。
「これは、俺とあいつのタイマンだったんだよ。 奴はみさきを自分のものだと思っていた。 俺が割り込むのが許せなかった。
 俺も同じだった。 何がなんでも、みさきだけはあいつに渡さない。 それまでは親父の権力と金で何でも手に入ったかもしれないが、一番欲しいものだけは絶対に!」
 三咲は、そうやの右肩に額をつけた。
「そうやと大倉くんはぜんぜんちがうよ。 大倉くんは私の気持ちなんか考えなかった。 自分が好きなんだから、私も彼を好きになるべきだと勝手に決めてた。
 でも、そうやは……そうやは、別れていてもわたしのためを思ってくれた……!」
 もう後は、言葉にならなかった。




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