表紙

春雷 87


 やがてストレッチャーに乗せられて、そうやが出てきた。 白っぽく艶を失った顔に擦り傷が目立つ。 固く閉じた瞼から長い睫毛が伸び、頬に影ができていた。
 三咲は彼に取りすがるようにして、並んで歩いた。 背後で吉峰が慌しく医師に尋ねていた。
「どこへ運んでいくんですか?」
「集中治療室です。 回復室を兼ねていまして、数日はそちらで注意深く術後のケアを行います」
「最高の治療をお願いします。 費用は幾らかかっても構いませんから」
「それでは個室の方へ」
「はい」
 呼びかけられた男性看護師たちは、手際よくカーブを切って、そうやを廊下右側の部屋に運び入れた。

 誰も一緒に入ることを許されなかった。 三咲がぼんやりドアの横に寄りかかっていると、エレベーターが上がってきて、二人の男が降り、そそくさと近づいてきた。
「ええと、山西さんおいでになりますか?」
 三咲は濁った目を上げた。
「はい?」
「ああ、山西三咲さんですね? 北品川警察署の佐伯です」
「鎌谷〔かまや〕です」
 警察手帳を順にかざすと、二人はさっそく事情聴取に入った。

 三咲は、言葉を選んで話した。 というより実際は表向きのことしか語らなかった。 ただ、田上創と婚約していること、大倉久士とは同郷の幼なじみであること、言葉の食い違いから喧嘩に発展して大倉が一方的に飛びかかっていったことだけを、ぽつぽつと口にした。
 最初は心配そうだった小野寺は、三咲が思ったよりずっと巧みに話の要点をぼかし、単純な恋のもつれにしてしまうのを、ちょっと皮肉な表情で観察していた。
 三咲は必死で、疲れた頭に活を入れていた。 ここが自分に与えられた試練、頑張りどころだ。 そうやをこれ以上ごたごたに巻き込んではいけない。 跡取り息子を失った大倉町長の恨みが、そうやにふりかかったら大変なことになる。
――大倉くんは死んだ。 もう誰も不幸にできないし、させちゃいけない!――




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