表紙

春雷 83


 中里さん……!
 たまらなかった。 そうやと一つ違いで、どことなく哀愁を帯びた雰囲気が共通していた。 背丈や体つきもよく似ていたために、そうやの代役をしていた彼……

 斜め向かいの長椅子に腰かけていた吉峰には、二人のひそひそ話は聞こえていなかった。 だが、初対面なのにくっついて座って親しげにしているのが、仲間外れにされたようで気にくわなかったのだろう。 先ほどから時々視線を走らせて牽制していたが、とうとうむくれた表情で立ち上がり、窓に近づいて携帯電話をポケットから出した。
 とたんに小野寺が言った。
「だめよ、携帯使っちゃ。 ここは病院よ。 外でやって」
 吉峰はこれで切れた。 返事もしないでそっぽを向くと、バッグを持ち、急ぎ足でエレベーターへ去っていった。
「田上の爺さんに経過報告よ、きっと。 爺さんは今、業務提携の話で北欧に行ってるはずなんだ、確か」
 おそらくすぐ飛行機を予約して、飛んで帰ってくるだろう。 三咲は心臓がよじれる思いを味わった。

 必死で瞼をこじ開けて、三咲は小野寺に頼んだ。
「できれば、誰もいなくなった今のうちに話してもらえませんか? そうや……田上さんに、あの日何が起きたのか。 あれから十年間、どうしていたのか?」
 小野寺は、綺麗に仕上げた顔を惜しげなく歪め、唾を吐きたいように口を尖らせた。
「創ちゃんは、頑張ってたのよ。 あの悪魔が表舞台に出てこないように」
 それから彼は、言葉を慎重に選びながら、話してくれた。

「駆け落ちの日、確か七月の十一日だったよね、待ち合わせ時間が来る前から、創ちゃんはあなたのこと、半分諦めてたんだって。
 そうよね、普通の家で幸せに暮らしているお嬢さんに、不安定な旅役者と急に駆け落ちしろと言ってもね。
 それでも、待ち合わせに来るだけは来てくれると思って、カメラ持っていったの。 思い出に写真を撮るつもりだったわけ。
 そこへ、不意に中里くんが上ってきた。 一座を辞める気で、兄貴分の創ちゃんに相談したくて、ついてきちゃったらしい。 創ちゃんはあそこに来られちゃ困るわよね。 だからお宮の陰に隠れたの」  




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