表紙

春雷 78


 三咲がぎこちなく歩み寄ると、鞄を持った青年、田上ビルの吉峰は、あわててベンチから立ち上がった。
「山西さん」
 花を納品しに行った夜とは態度が違う。 敬意を払う様子が見えて、婚約を知らされているのがすぐわかった。
「そうです……田上さんは?」
 不安定なかすれた声が、ようやく出た。 とたんに吉峰の視線が下を向いた。
「まだわからないんです。 緊急手術中で」
 あいまいな言い方が、胸にぐさっと来た。
 危ないんだ。 危篤なんだ! もし手術の最中に命の糸が切れるようなことになったら……!
「そうや」
 無意識に呟き、三咲は手術室の扉に向けて走り出した。 大慌てで、吉峰が前に割り込み、立ちふさがった。
「気持ちはわかります。 心配なのは本当によくわかりますけど、手術の邪魔はしないでください」
 三咲は錯乱一歩手前だった。
「わかるんですか? わかりっこない! 私にだってわからないんだもの! どうして? なぜこんなことに?」
 軽いヒールの音が近くなってきて、低いアルトの声が命令した。
「やめなさい! あなたがしっかりしなきゃ駄目でしょう!」

 争っていた二人ともが、びくっとなるほどの迫力だった。 三咲は肩を波打たせながら振り向いた。
 三メートルほど離れたところに立っていたのは、凄い美人だった。 濃赤のドレスに黒いベルベットのショールを羽織り、すっきりした顎を持ち上げるようにして三咲を見据えている。 まるで舞台女優がポーズを取っているようだった。
 吉峰が、当惑した表情で呼びかけた。
「小野寺さん、誰が知らせたんですか?」
「誰も」
 小野寺と呼ばれた美人は、怒るというよりもむしろ寂しげに答えた。
「ローカルニュースで事故をやってたのよ。 泡食って、パーティーすっぽかしてきちゃったわよ。
 あんたたち、私に来られちゃ困ると思ったんでしょう?」
「いや、僕は……」
 口を濁して、吉峰は壁際に身を寄せた。

 三咲をじっくりと観察しながら、美人は近づいてきた。
「そうか。 あなたが大西三咲か。 創ちゃんが命がけで守ってきた子なのね」



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