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春雷 72
「そう、ずいぶん会わなかったね。 あ、ここ座っていい?」
「……どうぞ」
声がくぐもった。 三咲のためらいに気付かない様子で、向かいの席に腰かけた大倉は、身を乗り出すようにして微笑んだ。
「変わんないなあ。 て言うより、色っぽくなった」
色っぽいだって? 最近あまり聞かない言葉だし、それに大倉が口にすると、湿気を含んだ風のようにねっとりとまつわってくるものがあって、耳からふるい落としたくなった。
三咲はいくらか冷たい声で切り返した。
「そうそう、もうじき婚約するんだって? おめでとう」
大倉は意外な反応を見せた。
「そんなことないよ。 牧穂が言った? ちょっと困るなあ、妙なこと言いふらされたら。
俺も聞いたよ。 山西こそ婚約して、すごく幸せそうだったって。 でも、さっき一人で座ってるところを見たら、幸せそうっていうより、寂しげな顔してたけどな」
三咲は、手に持ったままだったカップに気付いて、下に置いた。 今の言葉ではっきりと読めたのだ。 不意に大倉が現れた原因は、牧穂だ。 牧穂が彼に三咲の居場所を知らせ、会いに行くようけしかけたのだ。
でも、なぜ?
すぐ前にある大倉は、表情をゆるめていたが、目は笑っていなかった。 ほとんど瞬きもせず、三咲の顔にじっと据えている。 このいぶるような目つきが、高校のとき一番嫌いだった、と、三咲は不意に思い出した。
眼は不思議な器官だ。 大きな二つの球体――ただそれだけなのに、わずかな動き、ほんのちょっとした揺れで、相手の心の襞までしっかりと伝わってくる。 さっきこのカフェに入ってきたときから、三咲は大倉の視線を感じていた。 その圧迫感は、十年前とほとんど変わらぬものだった。 いや、むしろ迫力を増し、大人になった大倉の心が、蘇った情熱にどんどん食い荒らされていくのが見えるようだった。
――この人、まだ私に未練があったんだ――
自惚れではなく、自意識過剰でもなく、三咲は大倉の眼に篭められた暗い熱に、肌が萎縮するのを感じた。
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