表紙

春雷 68


 すっきりしたホテルのエントランスを抜け、ロビーに入ると、ゆるくカーブを描いた藍色のソファーから牧穂が立ち上がって手招きした。
「こっちこっち!」
 花模様を散らしたティアードスカートにクリーム色のブラウスを合わせている。 肩にかかる髪の緩やかなウェーブが優雅だった。
 きれいになった、と、三咲は思った。 牧穂も三咲に同じことを感じたようで、目を見開いてしげしげと観察した。
「なんかこう、光ってるね」
「大げさだよ」
「ほんとほんと。 あっと、どのレストランにする?」
「牧穂に任せる」
「じゃやっぱり、無難なところでイタリアンね」

 斜め上に天窓があって明るい店内で、鮪のカルパッチョを食べながら、牧穂が尋ねた。
「たしか銀行に勤めたって聞いたけど?」
 フォークを置いて、三咲は静かに答えた。
「辞めたの。 今は花屋に行ってる」
「ふうん。 カレとは職場で知り合ったの?」
 三咲は考えた。 再会したのは確かにそこだが……
「職場っていうより、注文してくれたお客さん」
「いくつ? そのカレ」
「二十八かな」
「似合いだね」
「私のことはもういいから、牧穂の話聞かせて」
「ああ……」
 とたんに牧穂は顔を暗くした。
「あんまりいいことないよ。 狭い町でしょ? 九年近く付き合った男に振られたら、かっこ悪くて居場所がないんだ」
 大倉も罪作りなことをする。 いつもきちんと髪をときつけ、制服のボタンをぴったりと止め、小型のエチケットブラシを持ち歩いて身なりを整えていた少年時代の大倉を思い出して、三咲は胃のあたりに不快感を覚えた。
「愚痴言える人いないの? コーラス部だったでしょ? 昔の部活仲間とか」
「久士と付き合ってるって妬まれてたからなあ。 ハブにされてたとこあって」
 女友達をみな失っても、大倉の傍にいた。 それだけ牧穂の想いは強かったのだろう。 確かに大倉家は、也中口だけでなく県でも有数の財産持ちだし、地元の有力者でもある。 しかし、牧穂の父も一流の食品会社勤務で、彼女が家柄目当てで大倉と付き合っていたとは思えない。
 三咲はますます大倉の処世術が許せなくなった。



表紙 目次文頭前頁次頁
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送