表紙

春雷 66


 受話器を手で押えて、母が言った。
「牧穂ちゃんだって。 懐かしいね」
 牧穂? もうずいぶん声を聞いていない。 そう言えば、高校を卒業してから一度も連絡を取り合っていなかった。
 奇妙な気持ちで、三咲は電話を受け取り、耳に当てた。
「はい?」
「あ、こんちは。 三咲?」
 自分からかけたのに、なんだか慌てた声がした。
「そう。 牧穂なの?」
「うん」
 声にためらいが加わった。
「東京へ遊びに来てね、思いついて電話帳調べて、山西って家に電話してたの。 三軒目だったよ」
 不意に懐かしくなったのだろうか。 それともただの気まぐれ? 三咲にはよくわからなくて、返事に困った。
「はあ、久しぶりだね」
「八年。 もうそんなに経ったんだねー。 なんか信じられないわ、自分で言ってても。
 三咲、まだ実家にいるんだね。 こんな昼間にいるってことは、もしかして無職?」
 引っかかる言い方だった。 どこか小馬鹿にしたような。 まだお互いに二十五と六なんだから気にすることはないと思ったが、嫌な感じがした。
「今日は定休日。 実家にいちゃ、おかしい?」
「ううん、そうじゃない。 私とおんなじだなと思って」
 投げやりな口調が返ってきた。
「私さ、久士に振られたんだ。 いつか結婚するんだと思って、腰かけ程度に仕事してたのに」

 大倉久士――今、三咲が一番聞きたくない名前だった。 それにしても、牧穂は彼と最近まで付き合っていたのか? その事実さえ知らなかった三咲は、驚きをうまく言葉に出来なかった。
「久士って……元学級委員の大倉くん?」
「そう、あの大倉。去年二十五になって選挙に出馬できるようになったとたんに立候補して、同窓生とかみんなに応援してもらって当選したんだけど。 あ、もちろん私もいろいろ手伝ったよ。 今考えたらバッカみたい。
 それがさ、結局也中口の町会議員ぐらいじゃ満足できなくて、国会に乗り出したいんだって。 だから、大物議員の娘と結婚するんだってさ」



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