表紙

春雷 65


 それから父は右手を伸ばして、三咲の肩をポンと叩いた。
「もう済んだことだ。 すっかり忘れてたよ。 こっちへ来てからはすべて順調だから」
「ほんと?」
 三咲は鼻声になりかけていた。 父は笑顔になって、今度は自分の胸を叩いてみせた。
「ほんとだ。 三咲だって知ってるだろう? 父さん部長だよ。 同期じゃ一番出世だ」
 それから、真顔になって付け加えた。
「お母さんはさ、おばあちゃんと同居するのが嫌で、三咲が市長の息子とよりを戻せば元通りになる、なんて言ったけどさ。
 親の力借りて嫌がらせするヤツを、婿になんかしたくない。 三咲だってそうだろ?」
 強く感動して、三咲は小さいときよくしたように、父の袖に顔を押しつけて目をつぶった。
「うん……ごめんね」
 頭に大きな手が被さった。
「気にするな。 好きな男と幸せになればいい」


 最近、三咲は高校時代をほとんど思い出さなくなっていた。 それがここに来て、急に昔の記憶をよみがえらせる出来事が続き、火曜日には思いがけない人から電話がかかってきた。
 その日は休みで、夜にはそうやと食事デートをすることになっていた。 それで朝から幸せ気分で、ベッドにワッと服を並べて、どれとどれを組み合わせようかとコーディネートに夢中だった。
 さんざん迷ってようやく決めかけたとき、階下から母の呼び声がした。
「三咲! 電話!」
「はーい」
 家族用電話にかかってくることは珍しかった。 押し売りなら母はわざわざ呼ばないだろうし。 三咲は首をひねりながら、軽い足取りで階段を下りていった。



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