表紙

春雷 61


「うん、そうらしい」
 三咲もごく小声で答えた。
 父は、困った様子で名刺を手の中でこねくり回した。
「あの、三咲のどこがよかったんですか?」
 父の顔に、そうやは真剣な眼差しを向けた。
「たくさんありますけど、特に、気持ちが温かくて落ち着いているところが大好きです。 それと、僕の家のことを知っても全然態度が変わらないのが、うれしかったです」
「おうち? おうちに何か?」
 無遠慮な母の言い方に閉口して、父が説明した。
「田上ビルは、一部上場の大企業なんだよ。 そこの、ええと、後継者ですか?」
 答える前に、そうやはちらっと三咲の顔を見た。
「はい」
「はあ……」
 ようやくことの成り行きに気付いたらしく、母の声が宙に浮いた。


 もともと一人娘に甘い親だから、反対が出るわけはなかった。 条件面でも申し分ないし。 なさすぎて、父はどこかに疑いの気持ちを残しているようだった。
「あの、ご両親は何と言われてますか?」
 覚悟していたらしく、そうやはすぐに答えた。
「両親はもういません。 でも生きていたら、僕の気持ちに大賛成してくれたと思います。 駆け落ち結婚した人たちですから」
「駆け落ち……」
 父は絶句した。 だが、母は黙って引き下がらなかった。
「なんでそんなことに?」
「祖父が反対したんです。 母は一人娘だったから、自分の気に入った相手を選ばせたかったんだと思います」
「それで、うまく行ったんですか?」
 母の無遠慮な問いにも、そうやは微笑で答えた。
「ええ、アメリカで十年ぐらいあっちこっち回ったんです。 父は手品がうまくて、仲間たちと曲技団みたいなのを結成して、ステートフェアとかで客に見せてたんです。 母は器用だからアクセサリーやクッキー作って売ったりして。 すごく楽しかったのを覚えてます」
 三咲は集中してじっと聞いていた。 初めて知るそうやの幼年時代だった。
「それで、いつ日本へ戻ってきたんですか?」
「十七年前です。 親たちが元気ならずっとあっちにいたと思うんですけど、大雨の日にハイウェイで車がスリップして」
 はっとして、三咲は顔を上げた。 そうやは淡々と話し続けた。
「団員の一人が僕を引き取って、連れ帰ってくれたんです。 僕が実家のことを一言もしゃべらなかったから。 祖父は母を追い出した人です。 ずっと敵だと思ってました」
 父と母は顔を見合わせた。 変わった子だと感じたのは確かだった。
「でも、今では仲直りしたんですよね?」
「はい。 大人になって見方が変わりました」
 母の肩が、ほっとしたように降りた。

 申し込みはめでたく受け入れられ、四十分ほどでそうやは立ち上がった。
「遅い時間に申し訳ありませんでした」
「いえ、こっちこそ何の用意もなくて」
 そう言いながら、母は三咲をちょっと恨めしげに睨んだ。
 玄関に送っていった三咲は、靴をはいているそうやに寄りかかるようにして尋ねた。
「ほんとにいいの? ご家族に相談しなくて」
 すっと頭を上げると、そうやは真顔ではっきりと答えた。
「もう俺の家族は君だけだよ」



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