表紙

春雷 60


 父が、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。 表情が顔に出ない父だが、見慣れている三咲にはわかった。 相当動揺している。
 母は顔にも言葉にも出る性格だった。 あやうくカップを引っくり返しそうになって、急いでカウンターの後ろから出てきた。
「え? いつからお付き合いを?」
 三咲が口を開く前に、そうやは素早く言った。
「数年前からです」
「へえ」
 母が二人を見比べる視線を、三咲は痛いと思った。 母は気付いている。 何かが不自然だと感じているが、うまく言い表せないでいるのだ。
「まあ、座りなさい」
 父がぼそっとそうやに言った。 そうやは軽く頭を下げて、ソファーに戻った。

 自分もポンと腰かけてしまった母に代わって、三咲がコーヒーを出した。 だが、彼女がそうやの隣りに座るまで、誰もカップに手を出さず、無言の時が続いた。
 度胸を決めてしまったそうやに比べて、三咲はまだ緊張していた。 むしろ両親と向き合った今が不安のピークになって、腰をおろそうとしたとき、自分の足を踏んでしまってよろめいた。  三咲が神経過敏になっているのがわかったらしい。 そうやはさっと手を上げて支えてくれた。 彼の腕に手を置いて、三咲はぎこちなく座った。
 自然に寄り添っている若い二人を見て、両親はようやく納得したようだった。 母がぽつりと、重い沈黙を破った。
「何のお仕事なさってるの?」
「貸しビル会社です」
 名刺を取り出して、そうやは両親のそれぞれに渡した。 眼鏡を取り出して覗きこんだ父は、すぐに顔を上げてそうやをまじまじと見つめた。
「田上ビルの専務さん?」
「はい。 祖父が代表で」
 そうやの声が低くなった。
 母のほうは、よく事情がわからないらしかった。
「ビルを貸すって、企業に?」
「ええ、設備とかメンテナンスを提供して、オフィスや店舗に貸し出しています」
「田上ビルって、あの田上ビルだろ?」
 父が体を斜めにして、こっそり三咲に訊いてきた。



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