表紙

春雷 51


 そうやが撮影を中断して拾い上げ、ボタンを確かめてから三咲に返した。
「壊れてはないみたいだ」
 三咲は受け取るとすぐ折ってバッグに入れてしまった。 青ざめた顔に、眼だけがきらきらと光っていた。
「私は、下にいた」
「え?」
 首をかしげるそうやに、三咲は叫んだ。
「浜にいたの! 崖の下の! ちょっと遅れたから走ってたら、崖から人が落ちたって大騒ぎになってて、見たらそうやの劇団のはっぴが……」
 あの夜の底知れない恐怖が戻ってきて、腹のあたりから胃酸のように逆流し、三咲は途中で言葉を詰まらせた。

 三咲の体が小枝のように震え出した。 そうやが腕を出して、揺れる体を抱き止めた。
「はっぴって……海に?」
「そう……」
 涙声の三咲を、そうやははぎゅっと胸に抱えこんだ。
「俺が落ちたと思った?」
「……うん」
「もしかして、俺が自殺したと思ったのか?」
「だってね」
 三咲の口がもつれた。
「そうや、変だったもの。 前の日、すごく強引で顔色悪くて、別人みたいだった。 何か悩みがあったんだろうって、なのに私が遅れたから、その悩みの持っていき場がなかったんじゃないかって……」
「あれは……」
 そうやは言葉を途切らせ、鋭く息を吸った。
「はっぴか……。 それ、どうなった?」
「それって?」
「だからはっぴ」
 なんでそんなに気になるのかわからないままに、三咲は痛む頭をしぼって思い出そうとした。
「漁師のおじさんが棒でたぐり寄せてたけど、その後どうなったか」
 不意に頬ずりされて、三咲ははっとなった。 次に、髪を撫でられた。 何度も、何度も。
「そうか、そうだったんか」
 囁きが熱い息になって、耳を充たした。
「あの晩、一人で崖を降りて、みさきの家に行った。 リビングにお父さんとお母さんがいて、ビール飲みながら笑ってた。 二階には電気がついてて、あそこにいるんだろうなと思ったけど、来てくれなかったんだから声かけても無駄だと思って」
「行ったよ! ほんとなんだから!」
「うん、うん」
 いつの間にか溢れた涙が鼻に入って、三咲は咳き込んだ。
「つらかった」
「みさき」
「苦しかった、すごく……」
 ふたりは固く抱擁していた。 


 ぴたりと寄り添ったまま、ふたりは浜に戻り、砂の上に座りこんで再び抱き合った。
 やがてそうやが呟いた。
「もっと信じればよかったな、みさきを」
 三咲は静かに泣いていた。 泣きながら思っていた。 やはりあの日、時間を守っていれば、彼に会えた。 遅れても崖に上って確かめていれば、辛い十年を過ごさずにすんだはずだった……



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