表紙

春雷 42


 翌日の昼前、付属の花屋『フローラルベル』で、直輸入物の薔薇ブラック・バカラの棘を落としていると、奥から大宅恭子が嬉しそうにやってきた。
「大量注文! これがリストよ。 期日が明後日の土曜日ですぐだけど、うちは中卸も兼ねてるから、欠品になることはないだろうって」
 コピーされたリストを斜め読みした三咲は、注文主の名前が目に入ったとたん、すっと動きを止めた。
「田上ビル……」
「改装記念パーティーだって。 場所は大久保。 明日と明後日は忙しくなるね!」
 
 リストをバインダーに挟んだ後、三咲は作業を続けたが、意識は半分別のことに飛んでいた。
 この店は代々木だから、大久保は近いといえば近い。 しかし、こんなに期日が迫ってから注文が来るのは、他の店から乗り換えた公算が大きかった。
――そうやが言って、注文先を代えさせたんだろうか――
 もしそうなら、それは三咲とホテルで偶然再会したからとしか考えられなかった。
 三咲の胸が、ぴくんと大きく打った。 期待してはいけないと思う。 だが、そうやが今でも三咲を気にかけてくれているのは、眼が熱くなるほど嬉しかった。


 金曜日のせりは熱の入ったものになった。 アレカヤシ、紅スモモなどの枝物からデルフィニューム、カトレア、ファレノなど、小さな店がもうひとつ出来るんじゃないかと冷やかされるほど買い込み、搬送車が二台も必要となった。
 準備はその夜から始まった。 出勤した職員がすべて駆り出され、花運びを手伝った。 交差点の角に立つ届け先のビルは、エントランスが広々と明るく、二面の壁を巨大なモザイクが覆っていて、改造というより新築に見えた。
 スモークグリーンのジャンパーを着た男が、納品表と照らし合わせながらフロアを飛び回っていた。
「それはこっちに置いてください。 大きな花台はエントランス脇に。 ええ、明日は入口の両側に出すから、近いほうが」
 シダを両腕いっぱいに抱えて入ってきた三咲とすれ違ったとき、彼は親しげに声をかけてきた。
「ああ、レイジン・ホテルで会いましたね。 専務のお知り合いでしょ?」
 専務? とっさに三咲は、それがそうやのことだと思いつかなかった。



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