表紙

春雷 37


 S銀行で、三咲は『CB』と呼ばれていた。 クールビューティーの略だ。
 高校時代はリップを塗って、たまにマニキュアするぐらいがせいぜいだったのに、大学で三咲はメイクにはまった。 厚化粧するのではなく、アクセントをつけて顔を『作る』ことに熱中しはじめたのだ。
 三咲は、飛びぬけた美人というわけではない。 活き活きとした眼を除けばむしろ平凡な造作だ。 しかし、ファンデを使い出してから知ったのだが、非常に化粧映えのする顔立ちだった。 自分の顔をキャンバスにして効果をつけることを覚えて、三咲はメイクに熱中した。
 その成果は見事に上がった。 上がりすぎたぐらいだ。 大学二年のときにミスN校に選ばれ、銀行でも花嫁にしたい女性行員NO.1だと面と向かって言われたりした。
 三咲は困った。 目立つのは嫌だった。 矛盾した心理だが、よくできた『絵画』として遠巻きに見ていてほしかった。
 その遠慮が奥ゆかしく見えたのだろう。 三人の同僚から付き合ってくれと言われ、先輩からとうとうプロポーズもどきの言葉をかけられた。
 やんわり断ったつもりだったが、逆切れされ、意地悪の対象にされた。 あまりにも子供じみた嫌がらせの数々にうんざりして、親に相談すると、そんなところ辞めてしまえと父親も切れた。

 それでもメイクは止められない。 今の仕事着はジーンズにパーカーかTシャツなのだが、『すっぴん風メイク』という技を覚えて使っていた。 薄付きで、しかも素顔よりずっと陰影深く見えるという化粧だ。
 三咲は、素に戻るのが怖くなっていた。


 ホテルの裏口には銘仙の着物に大きなエプロンをかけた女性が立っていて、三咲の車を見るとすぐに大きく手を振った。
「こっちこっちー!」
 そして、車がカーブして止まると、小走りにやってきて荷下ろしを手伝ってくれた。
「急に無理言ってごめんね。 どうしてもカキツバタをメインにしたかったの」
「いえ、ご注文ありがとうございます」
 そう言いながら、三咲は自然に微笑んでいた。 この生け花の師匠は、気取ったところがなくていい空気の持ち主だった。

 中まできちんと運んで、領収書を渡してサインしてもらっている間、三咲は広い会場を何となく見渡した。 奥が一段高くなっていて、その上に白い幕が横に張ってある。 上に読みにくい字が這っていた。
「祝ホールインワン?」
「うふ、今時ねえ」
 和服の先生が声を落とした。
 まだ準備中で、招待客は入れないはずだったが、間もなくスーツ姿の男性が三人ドアから姿を現した。 三咲はサイン済みの領収書を受け取り、軽く一礼して裏へ行こうとした。
 そのとき、三人組の一人がこちらに気付いて驚いたように足を止めたのが、視野の端にちらっと見えた。


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