表紙

春雷 29


 土曜日だから、五時前の電車はそう混んではいなかった。 それに、也中口〔やなくち〕まではたった一駅だから、あっという間に着いた。
 里子たちは駅の西側に住んでいるので、階段を上るとすぐ手を振って別れた。
 そのとき、川西が今になって思いついたように笑って言った。
「そういえば、三咲ちゃんの苗字って山西なんだよな。 俺川西だから、山! 川! って、ほれ、なんかの合言葉みてー」
「忠臣蔵?」
 すかさず松枝が口を挟んだ。
「そうだっけ? そっちが山の組で俺たちが川の組、ってことにしようなー」
 自称川の組は、のんきに遠ざかっていった。 やっと二人きりになれた三咲は、嬉しくなって松枝に体をすり寄せた。
「何時に劇場入り?」
 松枝は少し近眼らしく、目を細めて腕の時計を確かめた。
「四時半」
「まだ三十分ある。 遠回りして行こう」

 二人は西口を出て線路沿いに北東へ行き、普段は通らない路地を抜けて、なじみのない児童公園でベンチに座った。
 まだ日は高く、水飲み場にかげろうが揺らいでいた。 だが、木陰にあるベンチは風の通り道になっていて、手を重ねていても暑くはなかった。
 メッシュのスニーカーを履いた自分の足元を見ながら、松枝が突然言った。
「川の字さ」
「はあ?」
 自分の古風な言い方に気付いて、松枝は苦笑した。
「つまり、川西ってあの子」
「うん?」
「あれ、見かけほど軽くないな。 本気で赤木さんと一緒になる気なんだ」
「そうだね……」
 三咲も足を前に出して、花の飾りがついたサンダルを見つめた。 まだ十六歳。 あと二ヶ月は十六のままだ。 松枝を自分でも驚くほど好きだったが、結婚という大事業は、遥か未来の遠い出来事に思えた。



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