表紙

春雷 25


 ルーズウェストの水玉ワンピースに着替えて、三咲は爪先立ちで階段を下り、キッチン横の狭い裏口からダッシュした。
 浜は眠ったように静かだった。 陽射しがきついためか、人っ子一人いない。 いつもはちらほら見かける犬の散歩も、まったく姿がなかった。
 それで安心して、三咲は浜の端に立つ松枝に駆けよっていった。
「そうや! お待たせ!」
 両手をつないで、軽くキスした。 ぐっと押しつけられて歪んだ帽子を、松枝が整えてくれた。
「いいな、この帽子。 鍔が広くて」
「地味で、あんまり可愛くないけどね」
 白いブロケード製で何の飾りもない帽子を、三咲は軽く叩いてみせた。 すると松枝が、思いがけないことを言い出した。
「可愛いのプレゼントしようか。 今日給料が入ったんだ。 隣町まで電車乗って行ってみないか?」

 たちまち三咲の顔が明るく光った。 親にことわってないけど、昼間だし、もう高ニだし、隣りの桧垣山〔ひがきやま〕市には何回か行ったことがある。 構わないじゃないか!
「行っちゃおうか」
「行っちゃおう!」
 若さは決断が早い。 二人はすぐに浜を横切って、陽気に話しながら駅へ向かった。

 切符を買うとき、少しどきどきした。 三咲は高校が近く、電車通学ではない。 だから駅員になじみはなかったが、休みでも定期を使って電車に乗る同級生は多いので、見られたらヤバイかも、と思った。
 実はちょっと松枝を見せびらかしたい気持ちもあった。 プラットフォームに出て、帽子の下から両端を盗み見たが、学校仲間はいなかった。 薄い鞄で顔をあおいでいるサラリーマン風の男性と、二人の小さな男の子を両手に引いて、たこのように顔を真っ赤にしてふうふう言っている若い奥さんがいるだけだった。
 やがて来た電車の中で、幼い男の子たちは追いかけっこを始めた。 子どもならではのキンキン声が鼓膜をつんざいて、三咲は耳に蓋をしたくなった。 しかし、松枝は穏やかな目で二人を見守っていた。
「子ども、好き?」
 三咲が小声で尋ねると、松枝はうなずいた。
「ああやって元気ではしゃいでいるの、好きだ。 俺ん家は、大声出しちゃいけなかったから」
 男の子にそれは辛いだろう。 よほどしつけの厳しい家だったんだな、と三咲は思った。
 


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