表紙

春雷 20


 まる半日、無駄にしてしまった。 でも、それがかえって翌日から大倉の誘いを断る口実になった。
「うちでコツコツやるよ。 内申よくしないと、推薦通らないもん」
「今度は真面目に勉強する。 おいでよ、坂田は来るってよ」」
「大倉ちゃんはお父さんの跡継げるからいいけど、我々庶民は自力で頑張るしかないのよ」
 戸口で三咲を捕まえて、なんとか家に呼ぼうとしていた大倉に、牧穂の声が飛んだ。 どことなく棘のある言い方だった。
 そのまま牧穂は、すっと三咲の肘を取って廊下に出て、振り向かずにさっさと歩き出した。 もちろん三咲も、ほっとしてついていった。

    ◆◇◆◇◆

 五時十分、居間の電話がひそやかに鳴った。 二階で世界史のサブノートを広げていた三咲は、ぱっと動きを止めて聞き入った。
 一回、二回…… 呼び出し音は、そこで止まった。
 たちまちノートを閉じて、三咲は足を忍ばせて階段を下りた。 そして、台所にある裏口から出ると、浜に急いだ。

 夕焼けの美しい日だった。 赤味がかった橙色の光を受けて、砂浜に立つ松枝の影が細長く伸びていた。
 すぐに駆け寄りたかったが、他にもちらほら人が見えたので、三咲は彼にさりげなく目をやった後、上の道をそのまま進んだ。 間もなく松枝も上がってきた。 二人は少し距離を置いて、よんしゅの崖目指して歩いていった。

「今日は私が持ってきたよ。 ミントガムとレモンタブレット、ヌガーにグミ」
「ピクニックか?」
 松枝はそう言って笑った。
「ううん。 これだけ持ってくれば、どれか好きなのあると思って」
「かわいいな、三咲は」
 頭をぐりぐりっと撫でられた。 お返しにスポッと胸に倒れこんで、三咲は目をつぶった。
「お父さんがね、高楽へ見に行こうって言ってくれた」
「おう」
 松枝の体が動いた。
「俺のこと話したのか?」
「まだ」
 腕が三咲をしっかりと支えた。
「来週、三咲たちがテストしてる間、俺らはスクーリングに行くんだ。 ちゃんと単位取れば、来年には卒業できる。
 学校出たら役者一筋に取り組んで、いっちょ前に稼げるようにする。 そうなったら、並んで言おうな。 こんにちは、松枝創です。 お嬢さんと真剣に付き合ってますって」
 真剣に……胸にズンと落ちる、いい言葉だった。


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