表紙

春雷 12


 三咲は二人の話を聞き過ごして、海のほうに目をやっていた。 もう七時近いので浜は夕暮れて、あの豪雨の日のように薄暗かった。
「山西。 ね、山西!」
 何度も大倉に呼びかけられてようやく、三咲はぼやっとした表情の顔を向けた。
「なに?」
「ロンバケ(=TVドラマの『ロング・バケーション』)の最終回、録画しておいてやろうか? 山西んちのビデオ、たしか壊れてたろ」
 三咲の事情をよく知っている、と里子に思わせるような言い方だった。 三咲はちょっと嫌な気分になって、また海に視線を戻し、適当に答えた。
「どっちでもいいよ」
「じゃ、採っとく」
 あくまで爽やかに、大倉は応じた。

 途中から三人の帰り道は分かれる。 もう少し同じ道を行く二人に手を振って、ゆるやかな坂を登っていた三咲の足が、四つ角でふっと止まり、急に右へ曲がった。 そして、次第に早足から駆け足になった。
 間もなく着いたのは、瓦屋根の劇場前だった。 この高楽劇場で、松枝創、つまり『竜川雪也』は毎日公演を行なっているのだ。 もう夕方の部は始まっていて、中からかすかにお囃子の音が響いてきた。
 左手横に回ると楽屋口があるが、行く勇気は出なかった。 それで、もう一度飾ってある写真を見ていると、軽く肩を叩かれた。
 そうや? まさか!
 ぴょんとはねて向き直ると、黒いバッグを下げた父が笑っていた。
「珍しいな。 映画館ならわかるが、高楽劇場なんて」
「あ、あのね、サンバ踊ってるんだよ、びっくり! ほら見て」
 一緒に覗きこんで、父はにやにやした。
「色気あるな」
「いやらしー」
「だって、それ狙いでやってるんだから」
「まあ、そうだけど」
「思春期の娘には目の毒か」
「べっつに」
 そこで三咲は気がついた。 芝居嫌いの母はともかく、父なら見物に引っ張りこめるかも。
「ねえ、映画はよく行くけど、たまには実演も見たいかなー、なんて」
「本気か?」
 父は驚いていた。


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