表紙

春雷 8


 そのとき、まだ離れていると思った雷鳴が、頭の真上で轟いた。 それはもう音などという生易しいものではなく、空が裂けたというに近い物凄い響きで、二人は耳を殴られたように頭を抱えて身を伏せた。
 ほぼ同時に光が浜を走った。 もはや話をするどころではなく、若者たちは畳に伏せて雷雲が通り過ぎることを必死に祈った。
 やがて焦げ臭い臭いがたちこめてきた。 さっと松枝が頭を上げた。
「落ちた!」
「どこに?」
 耳がキーンとして、彼の声も自分のも、ふわふわと頼りなく揺れて聞こえた。 しかも、嫌になるほど小さい。 三咲は懸命に喉をふり絞った。
「この建物?」
「いや」
 松枝もしゃべるのに苦労しているらしかった。 頭を振り、耳を数度叩いた。
「ここならもっと凄いよ」
 いつの間にか、二人は固く手を繋いでいた。 そのまま店の正面にあるガラス戸に走って、カーテンを持ち上げて覗くと、船が燃えていた。
 ふたりが初めて出合った、あの船だった。

 松枝の腕が三咲の肩に回った。 彼に寄りかかり、頭をもたれさせながら、三咲は小さく震える声で呟いた。
「身代わりに……なってくれたんだ」
「うん」
 雷は気まぐれだ。 放電して行き場を探している、もと静電気の巨大な塊が、海の家に引き寄せられてもおかしくなかった。 だが、浜に引き上げられた廃船が、その危機を救ってくれた。
 雨はずいぶん小降りになり、遠くでは雲が切れて、光の筋が海を淡いサーチライトのように照らしていた。 松枝は部屋に引き返して傘を手に取ると、三咲に呼びかけた。
「早く出よう。 船が燃えてるのを見て、人が集まってくる」
「わかった」
 三咲も素早く鞄を背負ったが、とたんに、物足りなさが襲ってきた。
「ちょっとしか話できなかったね」
 やや明るくなってきた部屋の中で、松枝の眼が光を反射してきらめいた。 彼は平凡な男の子とはどこか違う、謎めいた雰囲気を漂わせはじめていた。


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