表紙

春雷 5


「ええと、明日も浜に来る?」
「山西さんも?」
「私はこの道が帰り道だから」
 そこまで話して気がついた。
「そうだ、明日は部活だ」
「ああ……」
 心なしか、松枝はがっかりしたように見えた。 うれしくなった三咲は、急いで提案した。
「あさっては何もない。 四時過ぎには帰れるけど」
 松枝はジャンパーのポケットから小さな手帳を出してめくった。
「あさってって木曜日だな。 五時半までに劇場に入ればいいんだ。 じゃ、あさってに浜で会おうか?」
「うんっ」
 三咲の声に力が入った。

 翌朝、学校へ行くときに、三咲は少し遠回りして、高楽劇場の前を通ってみた。 表には派手な看板が立ち、のぼりも何本かはためいていた。
 ガラスの中に飾ってある写真を、三咲は順番に眺めていった。 松枝、つまり『竜川雪也』らしい姿は三枚見つかった。 一枚は例の藤娘、そして後の二枚は前髪のある若衆と、付け髭の切られ役だった。
 まるで雰囲気の違う三つの役柄に、三咲は可笑しくなった。 役者が少ないから、どんな役でもこなさなければいけないのだろう。 まさかサンバは踊らないよね、と見回してみたら、その場面にも彼は小さく写っていた。 ピチピチのスパッツを穿き、上半身は裸で、ドーランを茶色に塗っている。
「おー、マッチョじゃない」
 意外な逞しさに、三咲は唸った。 ジャンパー姿だときゃしゃなぐらいに細く見えたのだが。


 木曜日が待ち遠しかった。 だが肝心なその日、昼過ぎから雨が落ちてきて、下校時間には本格的な降りになっていた。
 傘を肩にかけて手でぐるぐる回しながら、三咲はふてくされて歩いた。 道に雨の粒が絶え間なく落ちて、一面の水玉模様を作っている。 こんな荒れ模様じゃ、松枝が浜で待っているわけがなかった。
 三咲は四度目に腕時計を覗いた。 四時十二分。 細い針がやけに見えにくい。
「なんだかすごい暗いな」
 空は消し炭色だった。 そして右手に広がる海は、不規則な高波を砂地に打ち寄せ、泥色の跡を残して気ぜわしく引いていった。 とても午後とは思えない。 今にも夜の闇が押しかぶさってきそうだった。
 一段と雨が強くなって、傘を斜めに倒しているとスカートの前が濡れてきた。 ふくれっ面をして三咲がまっすぐ持ち直したとき、横の浜で何かが動くのが見えた。


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